6.彼女の周り

「で、これからどうすんだい」

 明原さんに話を振られ、そこで俺は少し考えた。



 どうすると言っても、実のところ、あてがない。特に、事件の犯人については警察に任せちまったほうがいいと自分で言っちまってるから、じゃあ俺らには他に何ができるんだろう。
 実際の被害者は3人いるわけで。怪我を負わされたのが咲良と宮月の2人で、残る細川はどうやら無事ではあるらしいものの、今日学校に来てないから、様子がわからない。
 とりあえず状況はそんな感じだということを伝えると、

「じゃあ、とりあえず見舞いにでも行くか? 場所は教師連中が知ってるってのはお前が言ったし」

 明原さんはそう言った。確かに、ウチの担任とかには詳しい情報が入っていてもおかしくはないかもしれない。とりあえず、見舞いに行くのに必要な情報として、細川の家の住所と、咲良と宮月が入院してる病院の住所がわかれば、見舞いには行けそうだ。

「だったら、ちょっと訊いてきます」
「おう、後で教えろー」

 そのまま動かない明原さんを尻目に、俺は屋上から降りていった。






 話を聞くのは難しくなかった。
 職員室に行って、ウチのクラスの担任を探して、欠席した奴のお見舞い行きたいんですって言ったら、すんなりと住所を教えてもらえた。ついでに地図まで書いてもらえた。
 その地図を見ると、学校から細川の家まではほぼ一本道らしいことがわかる。でかいマンションらしいので、あまり迷わなくて済みそうだ。
 一方、病院はというと、細川の家とは全然違う方向で、しかも距離も遠かった。とはいえ、それでもこのあたりで一番近い病院ってのがそこらしいので、しょうがないのかもしれない。
 そんな感じのことをざっくりと説明すると、

「じゃ、お前がその細川って子のとこ行きな。俺が2人の様子見てくるからよ」

 明原さんはあっさりとそう返してきた。

「早いスね、答え」
「なに、別に変じゃねーだろ。俺は細川って子は知らねーし。お前は知ってんだろ? それだけだ」

 俺は頷いた。確かにそういう意味では、きっちりした役割分担と言えるだろう。

「けど、それでも病院って時間かかりますよ? いいんスか?」
「いいよ別に。どうせ暇なんだし。時間が使えるなら何でもいんだよ」

 その言葉に俺は引っかかりを覚えた。言葉だけ聞くと不真面目なようだが、明原さん本人の表情にその色はない。むしろ、何か憂いのようなものを抱えてるような、そんな顔だった。それが一体なんなのか、けれどどう言ったらいいのかと、俺には追及のしようがなかった。
 なので、ひとまず話を進める。

「じゃあ、俺が細川んちで、明原さんが病院で。それでいいんスね?」
「ああ」

 確認して、明原さんは頷いて。それで流れが決まり、俺らは二手に分かれて行動することになった。

 地図で見た時は実感なんてなかったが、実際に歩いてみるといやに遠く感じた。自分の家が学校から歩いて5分もかからないような近所にあるのも相まってか、細川の家までの道のりを歩いていると、それだけで疲労感を覚える。自分の体力不足が軽く嫌になりそうな気分だった。

 それでも、歩いているうちに目的地のマンションが見えてくる――でかくて目立つので、わかりやすくて迷わない。そして、歩いて少しずつ近づくごとに、マンションのでかさが漂わせる威圧感ってやつも大きくなってくる。

 やがて出入り口の前までたどりついてからマンションを見上げてみて、改めて「あーなんかすっげえ」とぼんやり思った。

 一旦立ち止まって、そうやって見上げてから、マンションに入ろうと思って視線を下ろしたら――マンション側の道路に迷惑駐車されている、黒くてでかいワゴンが目についた。

 そのワゴンを見たのがこの時初めてだったなら、違和感を覚えはしても、それほど突っ込まなかったのかもしれないが、実のところ俺には、おとといもその黒ワゴンを見た覚えがあった。その時にナンバー覚えときゃよかったなと軽く後悔しつつも、今からでもメモっとこうかと思って、俺は自分の鞄の中をあさった。

 紙はなんでもいいと思って適当に引っ張り出したら、ルーズリーフの袋が出てきたので、そこから改めて紙を一枚取り出す。袋のほうをしまって、今度は筆箱を引っ張り出そうとして、それに時間を食っていたら、



「君、何をやってる?」



 いきなり真正面から声が飛んできて、俺ははっと顔を上げた。視線の先に、男が立っているのが見えた。まだ残暑の厳しい9月だというのに、その男は黒の革っぽいジャケットと茶色の長ズボンに身を包んでいた。そのせいか、男は立っているだけでも異様な感じがした。

「えーっと。このワゴン使ってる人、ですか?」

 質問に質問を重ねる形になったが、とりあえず俺はそう訊ねた。状況からして、俺がこのワゴン気になってましたってのは、言わなくてもわかるはずだ。

「ああ、そうだ。それがどうかしたのかい?」

 思いのほか、穏やかな声が返ってくる。だけどその声とは裏腹に、男の表情はあまり動かない。不快感や不信感を持たれてるわけじゃなさそうだが、かといって友好的な感じもしない――内心が読めない。

「俺、このワゴン、おとといも見たんですけどね。学校の校門の前で」

 とりあえず質問を続けた。あえて口調を断定形にしてみる。が、男は動じた様子を見せずに言った。

「知らないね。君、その制服は川城かい?」
「あ、はい」
「別に僕はあそこと何の関係もないんだ。母校というわけでもないしね」
「へえ、そうなんですか」

 母校、という言葉が気になった。そういえばワゴンを所有してるって時点で思い至ってもよさそうなもんだったが、少なくともこの人は大学生以上で、それなりに金持ちではあるらしい。

「そういや、仕事とか何やってるんです? 差し支えないなら聞きたいんですけど」

 できるだけ丁寧に、俺はそう聞いた――その直後、男の眉間に皺が寄った。そして、答えが返ってくるまでに妙な間があった。



「……そういう質問には答えられないね。どうして初対面の君に、僕のプライバシーを教えなければならない?」



 もともとのところ、そういう答えが返ってきても構わなかった。が、今の間は何だろう。何か後ろめたい点でもあるんだろうか。

「そりゃそうスね。わかりました」

 とりあえず引き下がる。と、男は追ってくるように言葉を続けた。

「もう話はいいだろう。帰らせてもらうよ」

 俺に対して、明らかに不信感のこもった口調だった。俺はおとなしく頷いて、男がワゴンの運転席に乗り込むのを見届けた――その姿がワゴンの中に収まってから、改めて鞄の中から筆箱を取り出し、ワゴンのナンバーをメモに取った。ワゴンが走り去る前になんとか正確なナンバー情報を写しきることができたので、俺はほっと胸をなでおろした――その直後に本来の用事を思い出す。俺は細川の見舞いに来たんだった、と。
 ワゴンが走り去った先を少し眺めてから、俺はマンションのほうに足を向けた。






 エレベーターに乗ってしばらく待つ。16階のボタンだけが光ってる。そして途中で止まったりしないで、下から上へ一直線。
 目的の16階にあっさりと着いて、細川の家だという1607号室を探す。エレベーターからだとそんなに遠くないはずだと勝手に見当をつけながら、とりあえず探し歩く。

 で、予想通り、あまり迷わずに目的の号室が見つかったので、軽く表札をチェックしてみると、『細川武雄(ほそかわ たけお)』と書いてあった。親父さんの名前以外は書いてない。

 さて、と。とりあえず見舞いという名目があるものの、扉の前に立つと、妙な緊張感を感じて、なんとなく体が強張っている気がした。それを追いはらいたくて肩を回したり手をぷらぷらさせてみたりするものの、強張った感は取れなかった。
 結局緊張感を抱えたまま、俺はおそるおそるインターホンを押した。ピーンポーンと、機械的な音がスピーカーから跳ね返ってくるのを聴きながら、返事が来るまで待つ。

『はい?』

 短いが、ひっそりとした女の人の――細川の母親さんの声が返ってくる。

「あ、もしもしー。えっと、旗村と申します。阿由さんと同じクラスで……ちょっとお見舞いに来たんですけどもー」



『……ごめんなさい、阿由は誰にも会いたくないって言ってますから……』



 半分は申し訳なさそうな、でももう半分は不信感がこもっているような、そんな声がスピーカーの向こうから聞こえてくる。

「……そうですか、わかりました」



『……さっき、悪戯があったんですよ』



「は……? 悪戯、ですか?」

 引き下がろうとしたのに、引っかかる言葉を出されたので、思わず訊ね返してしまった。

『インターホンだけ鳴らして、こっちが出ても何も返事をしなかったんです。けれど、切ったらまた鳴って……それがしばらく続いたんです』

 話を聞いて、俺は思わず顔をしかめた。低レベルな嫌がらせだが、細川相手にそんなことをする人間がいるってのが、もうやばい話だ。

「……嫌な人間がいたもんですね」
『阿由はそれで怯えてしまって……なので、放っておいてやってくれませんか』
「わかりました……急にお邪魔してすいませんでした」

 そう言って、今度こそ引き下がった。通話が切られる音が聞こえた。



 結局、細川本人に会えないまま1日を終えることになりそうだった。ただそれでも、誰にも会いたくないと思うほど細川が追い詰められているらしいことは、なんとなくわかる。

 それに、情報もある。マンションに入る前に不審な男がいたこと、細川の家に悪戯があったらしいこと、この2つ。これだけじゃまだ思い切ったことは何もできないが、少しずつなら進んでいけそうな気もする。



 またエレベーターに乗って、今度は上から下へまっすぐと降りて、扉の向こうはエントランス。そこを通って、俺はマンションの出入り口をくぐって、その日の家路についたのだった。

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