2.映像

 ガチャ、キイイ、バタン。ドアの音がする。

 映像に映るのは、玄関で靴を脱ぐ彼女の姿。決して大げさすぎることなく、むしろ動作1つ1つが慎ましやかで、可愛らしく見える。
 彼女はどこか頼りなさそうな足取りで、自分の部屋に移動する。部屋に入ったところで、僕は別のカメラに目を向けた。



 すがるように、ベッドに向かってへたりこむ彼女。肩に下げていた鞄が、ずるりと床に滑り落ちる。ああ、疲れているんだね。学校という場所が、君にはつらいんだろう? 前の場所に慣れなくて転校したようだけど、その様子だと、今の学校も合わないみたいだね?

 そりゃあそうだろう。学校だとか社会だとかは、自分という人間を押し隠して生きなきゃならないんだから。僕だって、会社で真面目に働いて、頭が悪くて薄っぺらい上司に媚びへつらって、内面じゃ殺してしまいたいという思いを必死に押し隠して生きているんだ。

 君の姿、君の生活、君の全てをこうして眺めて、それでなんとか僕は癒されているけれど。それだけじゃ、完全じゃない。君と僕は、一緒にいなきゃ駄目なんだ。そうだろう?






 それにしても、君の両親はいったい何を考えているんだろう。君がそんなにも疲れて苦しそうなのに、一緒にいようとはせず、今も仕事なんぞに勤しんでいるのだろう。所詮は君よりも仕事のほうが大事だってことか。親失格じゃないか、人間の皮を被った醜い豚どもめ。

 その醜い豚どもと彼女が、一緒に食事を取っている映像が目に入る。彼女はあまり食が進んでいないようだ。そうだろうね、豚どもと一緒にものを食べるのなんか、いや一緒にいることだって苦痛に決まっている。
 それに、ご飯のほうはどうだろうか。彼女が気分良く食べられないほど不味いのか、まさか毒が入っていたりしないだろうか。さすがにそんなことはないと言い聞かせてみるけれど、もしかしたらあるかもしれなくて。

 そんなものを君が食べさせられているだけで、僕は身が引き裂かれそうな思いに囚われる。僕なら、そんなものよりはるかに美味しいご飯を作って、君に食べさせてあげられるのに。今は一人暮らしだから自炊には慣れてるし、まして僕は君のために料理にも凝っているからね。



 なんとか食事を終えて、彼女はまた頼りない足取りで自分の部屋へと戻って、ベッドにすがりつくようにへたりこんだ。本当に彼女は疲れている。今にも壊れてしまいそうな印象だ――そうだ、僕もこんなところで彼女のそんな姿なんか眺めてる場合じゃない。今すぐ彼女の傍に行くことはできないけれど、せめて電話口からでも声を聞かせてあげなきゃ。

 僕は傍に置いてあった電話の受話器を取り、彼女の家の番号をダイヤルした。つい最近、彼女は別の場所に引っ越したから、その時に電話番号が変わっちゃって。僕も彼女の家の近くに引っ越したり、番号を調べなおしたり、他にもいろいろやり直すことが多くて、結構大変だった。もっとも、君のためならその苦労も報われるけれど。

 コール音が1回。2回。3回。4回。5回目の途中で、ようやくつながった。



『はい細川です』



 しかし、聞こえてきたのは彼女の声じゃなくてメス豚のほうだった。お前じゃないよ。僕は彼女の声が聞きたいんだ。
「もしもし、阿由ちゃんは今家におられますでしょうか?」
 軽く呼吸を整えて、猫を被って、なるべく相手に警戒させないように、僕は喋る。せっかく電話したのに、切られたらおしまいだ。

『阿由、ですか? すみません、阿由はもう休んでしまっていて』

「あ、眠っちゃいましたか?」

 見え透いた嘘をつくな、このメス豚。彼女は起きている。僕はしっかり見ているんだぞ。僕はお前じゃなくて彼女と話したいんだ、お前の声なんか耳障りにも程があるから聞きたくないんだよ。

『ええ。すみません、ですので阿由は電話には出られないんです』

「そうですか……夜分遅くに申し訳ありませんでした。いつ頃なら大丈夫でしょうか?」

 はらわたが煮えくり返りそうな思いをなんとか抑えながら、僕はそう言った。ここで相手の機嫌を損ねるわけにはいかない。が、そんな僕の神経を逆撫でするかのような言葉が続く。



『いつ頃が大丈夫かは……あの子は今、とてもじゃないですが電話には出られません。ですから、用件がありましたらこちらが聞きますけど』

「そう、なんですか?」

 声色がひっくり返りそうになる。どうして彼女が電話に出られないなんて言うんだよ。彼女に受話器を渡せばそれで済む話じゃないか。



 問い質したい気持ちを押さえ、申し訳ありませんでしたと言って電話を切った。彼女の声が聞けないんでは、どうしようもない。かと言って、彼女が1人で家に居る時間は、僕はまだ会社で仕事中だから何もできない。
 今のままではどうしても彼女を迎えにいけない。それがひどくもどかしい。ただ静かに見守っていることしかできない。
 いつか君を迎えに行きたい。強く強くそう願いながら、今日も僕は、一日の終わりを、彼女の家にたくさん仕掛けたビデオカメラの映像とともに過ごすのだ。



 待たせてごめんね。そして、もう少しだけ待っていて。



 僕だけの、君よ。

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