4.ガチンコ勝負

 放課後になって、屋上で1人になって過ごすのが、随分と久しぶりのことのような気がする。昨日までは、ほぼ毎日宮月が隣にいたけれど、それだってまだ1ヶ月も経っていない。それなのに――前は1人でいることこそ普通だったのに、今1人でいることが退屈というか寂しいというか、そんな気になるのはどうしてだろうか。
 自分で疑問に思っておきながら、それに答えがあることを僕は知っている。これを恋愛感情で好きだと言うのかどうかと訊かれれば首を傾げるだろうけど、それでもいきなりいなくなれば不安に思うだろう。いてくれるのなら傍にいてほしいと、僕は彼女に願うだろう。
 ただ、今は彼女は隣にいないけれど、捜そうとは思わなかった。ただ屋上に来ないだけで、向こうに用事があるだけなのかもしれない。いちいち確認はしていないし、だいたいどうして彼女の行動を僕が制限できるというのだろう。
 それに、本当に彼女が切羽詰まっているのならば、それを知らせるサインが僕にもたらされるはずだけど、今のところそういったものはない――特に体に変調があるわけでも、頭痛が響いているわけでもなく、僕は屋上の縁に足を伸ばして座り込み、だらんと力を抜きながら空を見上げていた。軽く日が傾いて、青い空にも赤っぽい色が混じりつつある。



 ゆるやかに時間が流れる。運動部のかけ声が聞こえる。だけど見上げる景色には変化は見られない――確かに日は暮れて、後になれば空も真っ暗になるのに、どうしてそれを、こうして空を見上げる時には感じられないのだろう。これでもし周囲から風の音や運動部のかけ声などが聞こえなくなったら、時間が止まったような錯覚に陥るかもしれない。
 それほどまでに変化のない景色の一部に、僕はなっていたけれど。そう思った次の瞬間に、僕は物体じゃなく、生き物になる。



 不意に、屋上の唯一の出入り口であるドアが開いた。宮月かと一瞬期待じみた思いでその方向を見た。僕が光の中で寝そべっている一方、相手は影の中にいるから、明るさの差で姿がよく見えないけれど、こっちに近づいてきていることだけは見て取れた。
 やがて奴が日向に出ると、姿が露になる――宮月じゃなく、昨日会ったうさんくさいやつだった。黒い髪の中に混じった茶色のメッシュが変に特徴的な男。



「いよう、お前はやっぱこっちだったか。用事はねえのか?」
「……そっちは、何か用でも?」



 言いながら、できるだけ早く体を起こし、立ち上がり、改めて相手の立ち姿を眺める。学校の中だから当たり前なんだけど、制服姿。ただ、昨日と同じく、どことなくへらへらとしている風だった。



「昨日の続き、今日はマジ」



 あえてリズムを取るような口調でそんなことを言う。というよりも聞こえた感じが「昨日の敵は今日の友」という風な印象。言葉の内容的には「昨日の友は今日の敵」といったところか。



「マジって……なんでまた殴り合いなんかしなきゃならないんだよ」
「お前の女を預かった」



 即答で返された。しかも内容がただごとじゃない――預かったって何だ。どういうことだ。






「……宮月をどうした」
「わかんねえの? 預かってるって言ったじゃん」






 からかうように笑い声を漏らす。今それを聞くとどうしようもなくムカついてくる。自分が抱く感情がいきなり変化したのがわかる。






「……どこにやった」



「知りたきゃ力づくで吐かせてみ?」






 あっさりと言う。力づく。なぜそんなことを望むのか。ますます気に食わなかった。



「……痛めつけなきゃ、いけないのかよ」



「できるもんならな」



 しかも自信ありげに言う。人さらいをしておいて、さらにそういう口を叩く人間を、許しておくわけにはいかなかった。






「……後悔しても知らないよ」






 なおもにやにやと笑う男を、僕は敵意を込めて睨みつけた。











 ******











 お〜ぉ、怖ェ怖ェ。
 咲良のギラギラした目で睨まれ、胃の辺りに何かがじわりと広がる感覚が出てきた。



 今の喋りは一応、咲良を挑発してみようってことを基本に置いてみた。その結果返ってきた反応は、確かに狙っていたものの、受け止める側としては思わずびびって逃げ出したくなっちまいそうなものだった。
 だが、実際にそういう威圧感を感じるということは、それだけこいつがただものじゃないってことを窺わせる。びびりはするが、むしろそれは楽しみなにおいでもある。
 まあ、それを差し引いても、今の咲良を目の前にして思うのは、ヒールってのは大変なもんだな、てなことに尽きる。



 なんて考えているうちに、咲良の拳が1発、だんっと響きのいい踏み込み音がしてからまっすぐ飛んでくる。昨日よりずっとスピードがあるが、右手からなのでとりあえず右側に跳んで避けた――が、いきなりそこから追ってくるように回し蹴りが飛んできた。
「どぉわっ!?」
 慌てて両腕を縦に組んで、真正面から叩きつけてくるような蹴りを受け止める。バシッと音がして、自分の体が後ろによろけるのを感じる――重い一撃だった。そんなもんがまさかあの体勢から飛んでくるたあ。確か、踏み込み足は右で、飛んできた拳も右だった。そこから考えられる動きは、そのまま右を軸にして左での後ろ回し蹴りくらいのもんだが、実際にそんな動きなんつうとかなりの無茶じゃねえのか。
 後ろによろめく体に任せてそのままバックステップをして、慌てて距離を取る。さすがにその次の追撃は無理だったのか、咲良は右足一本でこっちを向いて立っていた。視線はこっちを睨んでいたが、全体的な雰囲気はどこか涼しげにさえ見えた。



 敵に回すとやばいタイプの1人だなー、と思う。敵と見なしたやつには容赦ない制裁を加える、咲良というのはそんな人間だろう――さて、そんな人間を相手に、最終的には俺が負けるべきなのが、筋書きとしてはベストなわけだが。一方で、真っ向から喧嘩してどっちが強いか、試してみたくもなる。というより、手ェ抜いてたら冗談抜きで痛い目に遭わされそうだというのが本音に近いだろうか。
 ともかく、相手に先に技を1つ見せられて、こっちも黙っちゃいられない。



 足を降ろして身構えた咲良に、今度はこっちから突っかかる。一気に詰め寄ったところで、右足をしならせてローキックを出す。巧みに足の甲を引っ掛けられ、受けられる。だったらと、それをいいことに足を引っ掛けたまま、姿勢を低くして左の拳を突き上げる。後ろにはろくに下がれないはず――と思ったらまた容赦ない叩きつけを左腕に喰らった。右腕で払いのけられたと気づいた時には、すでに俺は思いっきりバランスを崩していた。左斜め後ろに体の重心が傾いている。そのまま後転などという器用な真似は出来ず、俺はみっともなく尻餅をついた――意外なことにそこへの追撃はなく、咲良はまたステップで距離を取ってこっちを向いていた。
 遊ばれているのか、それともそういうやり方が向こうの基本なのか――真面目そうな印象があるから多分後者なんだろうと思いつつも、そこに向こうの甘さを見て俺は苦笑した。
 しかし甘くはあるが、そのやり方は確実性があって隙がない。柔道の寝技合戦にありそうな、不意をつかれて一気に形勢をひっくり返されるというリスクがないから。リスクを抑えようとする人間っつうのは、こういう時、相手すんのに困る。攻めどころがなかなかないから。



 どこかで「リスクを恐れるな」なんて言葉をよく聞くが、それを鵜呑みにしちまえばただの無鉄砲に成り下がっちまう。実際には出来る限りリスクを排除した上で行動することが大事なんだろう。そうやって行動が上手く行く確率を上げることが出来るやつが、先を歩んでいく上でも成功していくんだろう――喧嘩の最中に考えることじゃねえなと苦笑しつつも、今の咲良を見てるとそんなことを思った。



 さて、マジでどうしたもんか。身構えてこっちの動きを待っているような咲良を眺め、こっちも適当に構えを取りながら、しばらく考えた。











 ******











「ん……んん……」



 緩やかに目が覚める。眠ってた、ということだけがわかる。
 ここどこだろう、と思って身じろぎする――それだけで違和感を感じる。両手を後ろで縛られている。ついでにタオルで猿ぐつわ状態にされている。
 どうしてあたし、こんな状態で寝てたんだっけ、とぼんやり思う。誰かに何かされたってことがあからさまに感じられるのに、そもそもどうしてあたしには危機感がないんだろうか。
 その理由は、思い出してみるとある意味当たり前のことだった。こういう風にしてと頼んだのは、あたし自身だ。こうしたほうがより一層捕らわれのお姫様っぽいと思ったから。
 背中を使ってなんとか体を起こし、もたれた姿勢で座り込んで、辺りを確認する。
 埃っぽくて薄暗くて、どこに何があるかはわかりにくい――そういえば、あたしをさらってきた彼にとって、この場所は隠れ家だって言うから、こんな雰囲気でちょうどいいのかもしれない。目立っちゃまずいだろうし。
 そんなことを思う一方で、寝て起きた状態なのに、妙に体が疲れている感じがした。これも最初はなんでだろうって思って、理由を思い出すと自分が招いたことだと自覚する。彼を――漂くん以外の男を強引に誘って、やっちゃったんだっけ。お姫様は暴漢に蹂躙されました、みたいな感じで。って言うと彼が可哀想かもしれない。誘ったのはあたしなんだから。



 なんとか全部を思い出して、だからといってあたしは何をすればいいのか。自問自答すら意味がない。ただ、あたしは待っているだけだ。漂くんが来てくれるまで。今頃漂くんと、それに聖人はどうしているんだろう。もう喧嘩に入ったのか、まだなのか、どこで何をしているのか、そういえば今何時だろうとか。いろいろ考えた――ああ、でも結局答えは出ないんだ。答えてくれる人はいない。今ここにはあたしがひとり。



 ひとりだと改めて自覚して、でもそれがあまり怖くないことに気づく。前はひとりが嫌で、愛しくなれる人を欲しがっていた気がしたけれど。今は退屈だとは思うものの、そういう不安なんてちっとも感じなくなっている。いつになるかはわからないけれど、彼は必ず来てくれる。多分根拠はどこにもないけれど、なぜかあたしは確信に近くそう思っていた。



 だけどそう思って待つのとは別に、やっぱり今は退屈だった。相変わらず誰もいないし、そもそも猿ぐつわがあるから喋れないし、腕も縛られてて動けないし。何もできない――もう1回寝ちゃおうかな、と思った。その方がもっとシチュエーション的に緊迫感があるかなー、なんて考えながら。ああ、ドッキリの仕掛け人の気分って実はこうなのかなーと、自分の状態にあまりにも似合わないことを考えながら、あたしは再び目を閉じた。



「宮月ッ!?」



 声がした。切羽詰まったような色を纏って、その声はあたしを呼んだ。
 けれど、振り向かなくてもわかる。漂くんの声だった。ああ、よかった。来てくれた。確信していたはずなのに、あたしはひっそりと、ほうっと息をついた。そうすると気分が落ち着いたので、そのままあたしは気絶したふりをした。
 もう一度名前を呼ばれた。さっきよりも大きく声が聞こえ、足音もこっちに近づくように大きくなった。やがてがくがくと体を揺さぶられ、猿ぐつわが解かれた。



「大丈夫!? なあ、しっかり!!」



 間近で聞くと本当に切羽詰まってる、と言わんばかりの声。ああ、本当はものすごーく大丈夫なんだけどなーとなんだか謝りたい思いを抱きながらも、あたしはとりあえず、今意識を取り戻したっぽく見せようと、小さな呻き声を漏らした。その次、演技だとばれないように慎重に、うっすらと自分の目を開いていく。



「…………漂、くん」



 彼の名を呼んだ。目を開いた先には、彼の顔があった。すると彼は安心したのか、思いっきり息を吐き出した。溜め込んでいた心配を全部吐き出してしまっているみたいだった。






「……よかった……っ」






 その呟きが聞こえた後、いきなり体を抱きしめられた。強い力、予測してなかったその行動に、あたしの顔は露骨な驚きを見せていただろう。お互いの顔が肩越しなので、その表情は漂くんに見えない。ついでにあたしも今、漂くんがどんな顔をしているのかわからない。
 と、その時に漂くんはあたしの両手が縛られていることに気づいたようで、後ろ向いてと言われた。あたしは言う通りにして、その後すぐ、あたしは完全に自由になった。それをいいことに、今度はあたしのほうから彼に抱きついた。



「……漂くん」



「……何? ……大丈夫、か?」



「大丈夫。あたしは。……ねえ、あたしのこと、好き?」






 ためらいもなく、問いかけが出てきた。こういうことをしてまで、本当に訊きたかったこと。彼はまだすべての事情を知らないけれど。今こうしている中、あたしはどう思われているのだろう。












「…………、好きだよ」












 長い間があって、彼は一言だけ答えた。低くて小さな声だったけど、力がこもっている感じがした。それを聞けて安心したのか嬉しかったのか、あたしはすがりつくように、彼を抱きしめる両腕に力をこめた。彼もそれに返してくれるように、あたしを抱きしめる力を強めた。



 そのままあたしたちはずっとそのまま抱き合っていて、しばらくそこから動かなかった。


















 だけど、話はまだ終わらない。



 あたしは漂くんが好きだ。そして漂くんも、あたしのことを好きでいてくれているとわかることができた。



 けれど、ここで終わりにしたら、あいつにものすごく失礼だ。






 多分、漂くんの中じゃ、あいつは質の悪い奴って印象が残っているかもしれない。もしかしたらそんな印象はないのかもしれないけれど、役回り的にはこのまま放っておいちゃいけないと思う。むしろ、あいつには後で礼を言わなくちゃいけないくらいだ。









 しばらく抱き合ったまま、「話があるの」と唐突にあたしは切り出した。



 何って声が返ってきて、お互い正面に顔を合わせ、そこであたしは腹をくくって、話せることを、話しておかなくちゃいけないことを、全部話した。













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