真昼の幽霊

 気がつくと、空の中にふわりと浮かんでいた。
 真下には住宅街が見える。住居がびっしりと敷き詰められた場所。その1つ1つが粒に見えるような高さに、僕は浮かんでいる。

 ここはどこだろう。それ以前に、僕は何なのだろう。どうしてこんなところに浮かんでいるんだろう。
 自分の手を見ようとして、目の前に手のひらを持ってきてみたけれど、なぜかうっすらとしか見えなくて。太陽の光が邪魔で、輪郭がはっきりとしなくて。それでもとりあえず、今、自分の右手は自分の視界の真正面にあるはずだ、というのは感覚だけでわかっていた。

 何がどうなって、今こうなっているのか。さらには、僕という存在がいったい何なのか。空の上でふよふよ浮かんでひとりぼっちで考えても、答えはわかりそうにない。

 せっかく真下に街があるのだから、そこに下りてみようか。そして、出来ることなら誰かに話でも聞いてみようか。そう思いつくと、僕は腕組みをやめて、真下へと移動を始めた――真下に進みたいとイメージするだけで、地面や障害物に頭から突っ込んでいくような形で、空気の中を滑るように。

 今、太陽は光り輝く真っ盛りのような感じで。すると今は日中、昼間ってことになるんだろうか。そう思って、ふと考えたことがある。昼間といえば、学校が一番騒がしい時間かもしれない。特に小学校は、昼休みが一番、遊び時間としては長いから。今頃、遊具なんかにたくさんの子供がまとわりつくようにして遊んでいたりするのだろう。

 さっき上空から見下ろした中で、運動場と校舎のようなものは、住宅街の中で結構目立っていたから、場所は覚えていた。相変わらず空中を滑るようにして、僕はまっすぐにその学校を目指した。






 思ったとおりというか、その学校は今、運動場のほとんどが子供で埋め尽くされていた。ある開けた場所では人数がたくさん集まってドッジボールをやっているし、同じようにサッカーやキャッチボールなんかをやっている子供もいる。可動式のバスケットゴールを使って、バスケットボールや単なるシュート競争をやってる子供もいる。球技って人気だなーとか思ったりする。

 遊具のほうを見てみると、そっちも1つの遊具にたくさんの子供が取り付いている状態だった。ロープっぽいネットに張り付いて、早く上まで登ろうとする子供もいれば、裏側からぶら下がってる子供もいるし。滑り台では普通に滑る子供がいるかと思えば、逆に登ろうとする子供もいる。これを見ているだけでも、1つの遊具にも遊び方はいろいろあるんだなと妙に実感する。

 運動場の子供たちはみんな楽しそうに遊んでいた。強く光り輝く太陽の下でのその光景は、見ているだけでもずいぶん気持ちいい。その中の1人もふよふよしている僕に気づかないのは、最初から僕の姿が見えないのか、ただ単に気づいていないのか、僕が空中に浮かんでいるから実際見ようとしたら太陽の光に邪魔されて見えないからなのか。



 運動場をひととおり見てまわって、今度は校舎の中にでも行こうかなと思ったけど、もし僕のこの姿が人に見えるものだとしたら、無理かもしれない。となると残るは運動場以外の場所――校舎が影になって、太陽の光が届かないような場所でも見てみようかなと思った。
 そんな感じの場所を見て回る。学校の空き地は、運動場をまるごと覗いても、意外と多く存在するもので。大抵は人の姿なんてないけれど、そのスペースを使っても何かの遊びが出来そうだった。

 ただ、遊べればなんでもいいってわけじゃないだろう――そう思ってしまうような光景に、僕は出くわした。さっきの運動場のどこにもなかった、嫌な行為。
 遠目から眺めていて、言葉はよく聞こえない。けれど、視界に映ったものだけでも気分が悪くなるほどひどかった。5人くらいの子供が、1人を取り囲んでは殴ったり蹴ったりなどをやっている。
 周りにはその子供たちと僕以外、誰もいなくて。だったら僕が止めるしかなさそうだった。あれは放っておけない。

 体を滑らせて、いじめに走る5人の背後に近づく。彼らは僕には全然気づかなくて、子供にしては嫌らしい笑い声を響かせている。いじめられている子供は壁際に座り込んで、両手を盾にして体育座りでうずくまっている。

 僕はすうっと息を吸い込んでみせた――動きとしてそうしてみせただけで、実際には息を吸い込むことはできなかったけれど。それでもその動きは無視できなかった。



「なにやってんだお前らこらーっ!!」



 力の限り叫んだ。僕には自分の声が聞こえた。そして相手にもちゃんと聞こえたようで、5人全員がびくっとしてこちらを振り向いた。でもって、みるみる顔が青ざめていった。
「う……うわあああああああ!!」
 悲鳴をあげて、5人は一目散に逃げ出した。よってたかって1人をいじめていたくせに、呆れるくらい張り合いがない――いや、よってたかってだからこそか。ああいうのは、1人1人は弱いのかもしれない。
 とにかくいじめっ子連中を追っ払った後、体育座りでうずくまっていた子供に、顔を近づける。服が泥だらけで、手足はまっかっかに腫れていて。ところどころ擦り傷になっていて、血が出ていて。こりゃひどい。



「……大丈夫? 悪いヤツは行っちゃったよ?」



 できるだけ優しく声をかける。子供はゆっくりと顔を上げる。とは言ってもおそるおそるって感じじゃなくて、体が痛くてあまり動かせないだけらしくて。それでもって、見つめ返してきた目には驚きの色が混じってはいたものの、怯えてるんじゃなくて、むしろつっけんどんみたいな感じがあった。
「……なんだよあんた。体すけてるし。へんなの」
 言葉もきついし口調もきつい。だけど僕は苦笑するにとどめた。自分のこの状態が変じゃないはずはないし、いじめられていたにもかかわらずこういう態度っていうのは、なんだか見ていて救われるような感じで。
「どうする? 僕はこんなだから、手は貸せないけど……保健室まで、1人で行ける?」
「……ゆーれーがそんな心配すんな」
「幽霊だから心配しちゃ駄目なの? ……人が苦しいのは、嫌だよ」
「かんけーないじゃん。……あいつらだって、僕がどうにかしなきゃだめなのに」
 あくまでもその子供は不満そうに喋る。体中痛そうだろうに、そんな素振りをほどんど見せないまま。



「……無理する必要はないんだよ? 君はまだ、誰かに頼っていいんだから」



 思うでもなく、そんな言葉をかけていた。彼はまだ本当に子供なのだから、誰かに頼ったって、誰も文句を言う筋合いなんてないと思うのだ。
 けれど、彼は怒ったような表情で僕を睨みつけてきた。かけた言葉に反発するように。



「ばかにすんな。何でもかんでもたよってたら、自分1人でなにもできなくなるじゃんか。そんなのやだ」



 厳しい顔で、ぎらぎらした目で。それでいて、声にこそ幼さはあるものの、子供らしくないしっかりとした口調で、彼は言い返してきた。ボロボロではあっても、彼はなお映えていた――なぜかそんなことを感じた。
 けれど、それでも今は、少なくとも今はそんなこと通用しない、と思った。
「……邪魔はしないよ、それは。もともとこうやって話す以外に、僕は関われないからね。だけど、今それを言うのは駄目だよ」
 気遣うからこそ、僕は否定する。子供は少しだけうつむいた。






「1人で何かが出来る力を持つことは、大事だよ。でも、1人で全部が出来るようにはなれないから。自分に出来ることと出来ないことを、ちゃんと見ていかなきゃ。君のその怪我だって、君1人でどうにかできることじゃないんだから」






 そう諭してみる。あくまでも、彼の言葉を全否定しないように。実際に、頷けないものじゃあないから。だからこそ、彼に聞いてほしいことを、僕は語った。
 何か言い返したくて、でも何も言い返せなくて。そんな様子をあからさまに滲ませながら、彼は俯いた。不本意そうだけど、聞いてくれただろうか。ちょっと困ったように、僕は微笑む。

「……じゃあ、ちゃんと保健室行くんだよ? ……あ、名前、よかったら聞いていい?」

 気になって聞いてみた。単純に、話しているうちに興味が出たというだけかもしれない。または、興味という名の特別なものを、この子に対して持ち始めているのかもしれない。だからなのか、彼の名前を無性に知りたくなった。
 けれど、彼は素直には答えてくれなかった。不満そうな顔をして、また僕をぎらりと睨んで。

「……ていうか、あんたは何なの。体すけてるし、ういてるし、かんけーないのに声かけるし」

 当然の質問だなあと思う。それなのに僕は困る。だって、何なのと言われても、僕にだってこの状態は説明できなくて。だから苦笑しながら、
「ごめんね。わからない。本当にわからないんだ」
 こう答えるしかない。だけど、それでも彼は表情を緩めてくれた。こっちの意思を汲んでくれたらしくて、思わず僕はほっと息をもらした。
「まあ、いいや。教えてあげるよ。……正直、お礼は言わなきゃいけないと思うし」
 そこで、子供は初めて笑顔を見せた。口の端だけで形作られたものだったけど、それでも素直な笑顔だと感じさせるようなものだった。






「僕、ひょう。さくらひょうってゆーの」



















 いつの間にか目が覚めて、自分の部屋の天井をぼんやりと見上げていた。
 夢を見ていた気がするけれど、いつから現実に切り替わったのか、さっぱりわからなくて。
 ただ、目覚め自体は普段どおりなのだということを認識したのは、体を起こしてカーテンのほうに目をやって、そこから朝日の光が漏れているのを見た時だった。
 のそのそとベッドから降りて、腕を組んで思い切り上に伸ばす。体に残る眠気をそうやって振り払おうとする。
 ちょうどその時、部屋のドアが開く。見ると、姉さんが微笑んでいる。



「おはよう、漂」



「おはよ、姉さん」



 いつもどおりの朝の挨拶を交わして、姉さんはリビングのほうに行き、僕は洗面所に移動して、軽く顔を洗う。
 ふと、鏡の中の自分の腕を見て、それから本物の自分の腕に視線を落とす。両方に、消えない痣が残っている。それ自体に痛みはないけれど、思い出される記憶は僕にとって痛いものだった。忘れたいけれど、忘れることのできないもの。昔の弱さを示す、傷痕。

 だけど、昔とは違う。今の僕は、横暴さに踏みにじられることはない。身に降る火の粉を払いのけるだけの力は持っているはずだ。上手くその力を使えば、自分だけじゃなくて、誰かを助けることだってできるはず。自分が苦しいのは嫌だったから、苦しくならないために力を身につけて。同じように、誰かが苦しいのを、救い出せるようになれればいい。



 傷を増やさないように。誰かを苦しみから助け出せるように。守るために。



 自分の痣を見つめながらひっそりとその決意を固めて、今日も僕は生きてゆく。













お題バトル参加作品(掲載時修正あり)
テーマ:亡霊
お題:見えざるもの 過去 学校 導き 微笑 洋館 なま暖かい 幽体離脱  プリント(太字は使用お題)
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