なんだかんだでいろいろあってああだこうだとしているうちに、いつのまにか本番三日前まで来てしまいました。ちなみにここまでは漂くんだけがやや調子がふらふら〜っとする感じではあるものの、それ以外は至って順調です。まあ漂くんは前も言いましたがこういうことには慣れてないからしょうがない部分もあるとして、白共くんをはじめとした他のメンバーのみんなはさすがに慣れたものです。そしてあたしこと宮月草那がいつもどおり、というかいつのまに定着しちゃったんだろうという感じではありますが、レポーターとしてお伝えしてまいります。誰にって、それは深く聞かないでくださいね、お客さん?
 さてさて今日はいつもの第二音楽室ではなく、吹奏楽部の部室であります第一音楽室のほうに移動しています。本番が近いということで、体育館でのリハーサルの少し前から吹奏楽部と軽音楽部、それにコーラス部が一緒に集まって合同練習をやっています。この意図としましては、ひとつの部が演奏をしている間、他の部の人たちがギャラリーとして演奏模様を見届けることで、視線慣れをしておこうというものです。そうやって本番で少しでも緊張なくやれるようにしようということだそうです。



 今は吹奏楽部の出番ですが、この時はその擬似ギャラリーの存在に疑問を感じてしまいます。というのも吹奏楽部はまず、人数が多いんです。軽音楽部にコーラス部、それにあたしみたいなそれ以外の関係者の人数全部を足しても、まだ吹奏楽部の部員数のほうが多いんです。しかも人数だけでも圧倒されるのに、いざ演奏が始まってしまうと――大きなホルンやトランペットやトロンボーンの空気を震わせる音、力強く叩かれるティンパニやシンバルの地を揺らす音、優しく奏でられるフルートやオーボエの音――映像そのものの大迫力に、さらに綺麗に折り重なって飛び込んでくるたくさんの音、そんなものを目の前にしてしまったら、あたしたちはもうその限りないすごさになすすべなく呑まれるしかないじゃないですか。少なくともあたしは何度見ても慣れないというか、呑まれなかったためしがないですから。
 吹奏楽部はもともと文化祭以外でも出番が多く、コンクールで好成績を収めて表彰されることもたびたびありますから、人前での演奏なんて慣れっこです。だから多分、今は観客が少ないからとかそういうのは全然関係ないんだろうなぁと思います――結局何が言いたいかっていうと、吹奏楽部の演奏はもうどこにも文句を付けられません、完璧です、素晴らしいです、最強です、って別に強さは関係ないですけどまあ要するにそういうことなのです。



 続いてはコーラス部。なぜか女の子だけの舞台です。ピアノ担当がひとり、歌い手は八人います。なんだか中学時代にあった合唱コンクールみたいな雰囲気です。そのときとの違いは、人数が少ないことくらいでしょうか。
 違うと言えばギャラリーの数です。さっきの大勢の吹奏楽部が当然ながら見る側に回るわけで、一気に視線が増えてそのプレッシャーと言ったらものすごいことになります。コーラス部、それに軽音楽部はこれはとても練習しづらいと思いますが、その一方でより一層(少なくとも吹奏楽部よりは)本番に近い形で練習ができると捉えれば、むしろこのプレッシャーはいい刺激になることでしょう。
 ということで、コーラス部は合同練習の始めのころこそ緊張からのぎこちなさが見える状態でしたが、今はすっかり慣れたようで、大勢のギャラリーに臆することなくそれぞれの得意な声で歌を歌い上げています。女の子ばかりと言えども、低く勇壮な声、高く伸びやかな声、強い声、華やかな声、いろいろな声が混じるのです。そして特に実感するのが、どの声もはっきりと存在を主張して、それでいて他の声と美しく絡み合った状態であたしたちの耳に届くことです。一般的には、腹の底から声が出ているというのでしょうか。だからこそ他に存在をかき消されることなく響き、聞いているあたしたちを心地いい気分にさせてくれます。
 どうやら吹奏楽部といいコーラス部といい、たかが部活動と侮ってはいけないようです。正直、あたしと歳はそう変わらないのに、なんだか別世界にいるすごい人たちを見ているような気分になっちゃいます――現金な話ですが、あたしも何か部活やっとけばよかったかなぁとちょっと思います。まあ多分、今だけの一時的な気持ちだと思いますけどね。



 さて、続きましては我らが軽音楽部、漂くん白共くん相川くんの登場です――メインステージの練習ということで、この三人だけが出てきました。コーラス部よりも人数が少ないです。ということはコーラス部よりもさらに、受けるプレッシャーはすごいことになります。
 それでも白共くんと相川くんは合同練習初日から動じない図太さを見せていますが、対照的に漂くんは本番三日前の今でも緊張した様子を隠し切れていません。とは言っても初日はもっとはっきり挙動不審だったり目を回したりと、倒れるんじゃないかとはらはらさせられるくらいでしたから、それに比べるとさすがに落ち着いてはいるみたいですが――でもよく見ると目が泳いでたりするんですよね。回るまで行っていないだけで。
 がんばれー、と声が飛びます。今は吹奏楽部のギャラリーに混じっているエリちゃんからです。その流れに乗って、あたしもがんばれーと声を飛ばします。その後を受けるように、他の何人かもがんばれーと漂くんに応援の声をかけました。ちなみにこんな声援が飛ぶのは軽音楽部の時だけです。
 それに答えるように、漂くんは咳払いをひとつ。同時にそれは演奏開始の合図でもあります。白共くんが足を鳴らしてリズムを整え、そして相川くんと揃ってのギターの演奏が始まりました――ここからちょっとレポートに熱を入れようと思います。なにせ今までずっと、あたしは軽音楽部の模様を追いかけてきたわけですから。
 最初は漂くんがひとりで歌います。さすがに吹奏楽部の大演奏やコーラス部の合唱に比べて、迫力で劣るのは否めません。特に声はコーラス部の女の子たちと違って普段から鍛えているわけではありませんから、細くて弱々しい印象があります――が、綺麗さでは負けていないのが漂くんのすごいところです。というか男の子なのにそういう印象を受ける声だというのは、改めて思いますが反則なんではないでしょうか。何がどうと聞かれても困りますが。
 ちなみにステージ自体も迫力がないのは承知のことで、むしろそれを逆手に取って、落ち着きのあるまったりとした雰囲気を醸し出すものになっています。確かに音楽が奏でられてはいるけれども、心が躍りだすのではなく、静かに凪いでいく感覚に包まれるような。
 けれどもずっとそれが続くわけではありません。盛り上がりどころでは向かって右側の白共くんも歌い始めます。ギター演奏の手を止めず、高く響く漂くんの声に対して、自分の声を低いところから重ねて。二人の声が、とても綺麗に絡んでいます――聞いているだけだと男女のハーモニーのような美しさなので、歌っている人がどちらも男の子だということを忘れそうになります。まったりとしていながらもどこかいびつさが見える、そんな光景が彼らの舞台の魅力のひとつと言えるのかもしれません。
 ふと、文化祭が終わったあとに追っかけの集団が出来たりしないかしらと、心配なような楽しみなような、複雑な気分になりました。しかも彼らはこのステージに加えてバンド演奏もあり、もともとの注目度は高いはずです。DVDカメラに収めたあの寝姿映像がなかったとしても、漂くんはしばらく苦労するんじゃないだろうかと、そんなことを考えたんです――そこまで行き着いて、思い出した言葉がありました。一年の三学期に二年への進級をかけて勉強勉強ひたすら勉強、そして無事に進級を果たし、そこで苦労は終わると思っていたと、漂くんは言いました。ところがいろいろあって白共くんに文化祭のステージで歌ってくれと頼まれて、慣れないことだらけでまた苦労する羽目になったと――その苦労もいよいよあと三日でひと段落だ、と彼は思っているかもしれません。
 とまあいろいろと考えながら眺めているうちに、漂くんたちの舞台は最後まで無事に成し遂げられました。一斉に拍手が飛んで、漂くんは照れくさそうに俯いています。その仕草もすっかり見慣れた毎回のものですが、一方で彼は未だに拍手に慣れられない様子です。もっとも、たぶん今の拍手と本番のステージでの拍手は味が全然違うでしょうから、どちらかというと慣れられないほうがいいのかもしれません――今ここにいる人たちの中でそんな初々しさを持つ人は、漂くん以外にいないのです。他の人はみんな、多いにしろ少ないにしろ場数というものを踏んでいる中で、漂くんだけが一度もそういう経験がないわけですから。



 さて、軽音楽部の出番終了にともなって、合同練習のほうもまとめに入っています――バンドの演奏は学校では非公式の扱いになっているので、合同練習内ではやりません。つまりバンド演奏はギャラリーを前にしてという意味では一発勝負ということになります。
 今日はそのまま解散、あとの時間は各部の練習にあてろとのお達しがあり、コーラス部と軽音楽部はそれぞれの部室へと戻ることになりました、とはいえ軽音楽部はすぐ隣の部屋に移動するだけなんですけどね。その際、吹奏楽部所属の湖島くんとエリちゃんは今日はこっち側についてきてくれました。バンド練習もやんなきゃ駄目でしょー、とはエリちゃんの弁です。本当は他の吹奏楽部の子も何人か連れてきて、ギャラリーを少しでも入れた状態でやりたかったみたいですが、特例はお前ら二人だけだって顧問の先生に止められたらしく、けちーけちーと文句たらたらだったそうです。
 でもあたしはギャラリーはいなくていいと思います。さっきも言いましたけど、初々しい漂くんが一発勝負に挑む、それでしか生まれないものもある気がするんです。なんとなく、あてはなく、ただの勘なんですけどね。
 まああたしは演奏には関係のない(その代わりに裏方業を結構やってる)メンバーなので、実際のところは本人に直接聞きでもしない限りわからないんですけども、それが大して意味のあることだとも思いません。
 あたしはただ、その時が来るのを待って、見守るだけにしておきましょう。
 心の中で、大きく大きく、カウントダウンのコールを叫びながら。