自分、あるいは自分の大切な人が、本当に何も悪くない、本当に悪いことは何もしていないと思うのに、周りから誹謗・中傷をされたりした時、あなたはどう思いますか?
 そしてどうしますか?









































 矢川(やがわ)家は夫の洋次(ようじ)、妻の初子(はつこ)、そして長男の俊哉(としや)、長女の御佳子(みかこ)の4人で構成された家族だった。
 洋次と初子は同じ製鉄工場で危険度の高い仕事をこなしていたが、近所からは働き者と評判であった。
 矢川家は、それなりに幸せな家庭であった。







 ―――――洋次と初子の勤める工場で、被害の大きな爆発事故が起こるまでは。







「では、次のニュースです。今日の午後1時過ぎ、爆発事故が発生しました。事故が起こったのは△△県○○町にある伊川製鉄工場で、爆発は突然起こったということです。この事故により、当時作業をしていた矢川洋次さん(47)と矢川初子さん(45)が死亡、他、死者20名、重軽傷者43名に上る大惨事になりました」

 たまたま9時からドラマを見ようと思っていた御佳子は、このニュースに戦慄した。
「…………そんな……お父さん…………お母さん…………!!!!」
 彼女はすぐさま俊哉を呼んだ。
「姉さん? 何かあったのか?」
 俊哉は姉の様子を見て不安を覚えたが、このときは事の深刻さを理解していなかった。そしてこれから、それを知る。
「…………お父さんとお母さんが働いてる工場で……爆発事故があったんだって」
「何だって!? そ、それで!? 父さん達は無事なのか!?」
 狼狽する俊哉に向かって、御佳子は小さく、首を振った。
「……2人とも、死んじゃった」































 翌日。
 工場の爆発事故のニュースは、新聞の1面を大きく飾った。
 それだけでも御佳子と俊哉を打ちのめすには十分だったのだが、新聞に書かれていた内容を読んでいくうち、御佳子はある部分を読んだ瞬間、自失した。
 新聞には、こう書かれていた。

 『事故の原因は夫婦の怠慢か』

「………………何、コレ………………」
「姉さん?」
 凍りついたように固まった御佳子を見て焦燥感にとらわれた俊哉は、新聞を覗き込んで御佳子を固まらせた一文を見つけてしまい、同じように固まってしまった。
 信じたくなかった。信じられなかった。けれど新聞には、はっきりとそう書かれていた。
「お父さんもお母さんも、真面目な人だったのに…………それがどうして2人の怠慢ってことになるのよ…………?」
 そこまで言ってから、御佳子の目に涙があふれ始めた。それは俊哉にも伝染し、2人は泣きじゃくらずにいられなかった。

 そんな2人の事などお構いなしに、突然。



 ピーン、ポーン……ピーン、ポーン…………



 インターホンが鳴った。
「あ、はーい……」
 必死で涙を拭き取り、泣くのをこらえ、気丈な様子を作り、御佳子が玄関に向かった。
 そして、玄関のドアを開ける。



 ガチャリ。



















「人殺し!!!!!」
 いきなりそんな声が、御佳子に向かって響いてきた。再び茫然自失する御佳子。
 その御佳子の様子など気にも留めず、目の前の、中年くらいの女性は御佳子に罵声を浴びせた。
「夫を返して!! あんたの両親がウチの夫を……!!!」
 女性の目元をよく見ると、微かに涙の後が残っていた。この女性も泣いたのだろう。しかし、御佳子は今回の爆発事故の原因が自分の両親にあるとは到底思えなかった。
「お父さんもお母さんも、事故を起こすような人じゃありません!!」
 御佳子は両親の名誉を守ろうと、そう言い返した。しかし、
「うるさい!! 言い訳するな、この人殺し家族ッ!!!!!」
 御佳子は言葉そのものと女性の迫力に、黙らされてしまった。
 その女性はその後、御佳子に対してありったけの非難をぶつけること1時間、やがて罵り疲れたのか、悄然とした足取りで帰っていった。
 御佳子はその後ろ姿を、半分は哀れみに、もう半分は悔しさに身を震わせながら見送った。















































 その後、何人もの人間―――皆、爆発事故による死傷者の家族だった―――が、矢川家の玄関のドアを開け、応対に出てきた御佳子に浴びせられる限りの非難の言葉をぶつけ、疲れた様子で帰っていった。
 夜になって誰も来なくなった頃、御佳子は疲れ果てていた。彼女の胃はひどく重かった。
 そんな姉を見つめる俊哉も、また辛そうにしていた。
 新聞はこう書いた。『事故の原因は夫婦の怠慢』と。そう書かれれば、死傷者の家族にしてみれば矢川家に非難をぶつけずにはいられないのだろうか。
 誹謗・中傷の言葉を浴びせられて、御佳子も俊哉も黙っていたくはなかった。しかしどの相手も御佳子を罵る時の迫力は凄まじく、そしてもし自分達が相手の立場に立ったらと思うと、何か言い返すことはさらにためらわれた。
 それでも自分たちばかり悪く言われるのはとても悔しかったが、矢川家は黙るしかなかった。









































 翌日、警察の捜査状況が公開された。
 矢川洋次・初子の遺体は今回の爆発事故の死傷者の中では、爆心地に一番近いところで発見されていたことが公開された。よって警察は『矢川洋次・初子の2人が作業中に何らかのミスを犯したことにより事故が発生したと思われる』との可能性が強いという方針を示した。
 これにより新聞では、前日よりもさらに矢川夫妻の過失を大げさに扱うようになり、以後、矢川家への誹謗・中傷はエスカレートしていくばかりだった。
 













































「……なんなんだよ…………なんでこうなるんだよっ!!!」
 張り裂けんばかりの苛立ちを胸に、俊哉が叫んだ。
 毎日、嫌がらせの電話が鳴り響く。相手の発言では「人でなし」やら「死んじまえ」などという言葉が当たり前のように叫ばれる。切っても切っても、鳴り響く。切ったそばから、またも鳴る。
 毎日、嫌がらせの手紙が届く。こちらもやはり「死ね」やら「人殺し」やらという言葉が当たり前のように書かれており、中にはかみそりが同封されているものさえあった。
 御佳子も俊哉も、逃げ出したかった。しかも、問題はこれだけではなかった。
 両親の死は経済的な問題も連れてきた。両親は生命保険に入っていなかったのである。ゆえに保険金が下りるはずもなく、また工場側も矢川夫妻に事故の責任があるとして、賠償金を少ししか支払ってくれなかった。
 御佳子と俊哉は、ひどく追い詰められていた。誰も追い詰められたことのないようなレベルまで、彼らは精神的に追い詰められていた。







































 そして―――――。



















































 ある日の朝、俊哉は家のリビングで、ソファーに腰掛けていた。
 最近は御佳子と共に、こうして何も言わず、沈黙を保って時間をすごしていた。もとより、何か行動をしようという気力はとうに失せていたようであった。
 しかしこの日の朝、いくら待っても御佳子はリビングに降りてこなかった。



 俊哉はふと、とてつもない焦燥感に駆られた。どうしてそんなものを感じたのか、感じた直後にはわからなかった。
 俊哉はその焦燥感に突き動かされるまま、立ち上がり、歩き出し、階段を上って、2階の御佳子の部屋のドアの前までやってきた。
 心臓の鼓動は恐ろしく思えるほど早く、俊哉は御佳子の部屋のドアを開けるのを何度もためらった。
 数十回もそうしてためらい、ようやく決意を固めた。



































 恐る恐る、ドアのレバーに手をかけた。

















 恐る恐る、ドアのレバーを下ろした。



















 恐る恐る、ゆっくりとドアを押していった。

































 部屋は暗かった。朝だというのにカーテンは閉め切られていた。
「……姉さん……?」
 俊哉は小さく、そう声をかけた。しかし、反応はない。
 ひどく悪寒を感じ、彼はさらにドアを開いていった。非常に、ゆっくりと。





















 そして…………彼は、見てはいけないものを見た。彼が最も見たくなかったものを見た。























































「姉さん…………!?」
 俊哉が部屋の中で見たのは、天井に紐をつるして首を吊っていた…………御佳子の死体だった。







「姉さん!!」
 彼はすぐさま御佳子の体に駆け寄った。台になりそうなものを探し、やがて本を積み上げてそれを台とし、俊哉は大急ぎでロープをほどいて御佳子を下ろした。
 しかし、その体はひどく冷たかった。
 しかし、俊哉は叫ばずにいられなかった。
「姉さん!! ねえさん!!! 目を、目を開けてくれよ!!!」
 体を激しく揺すっても、御佳子が目覚めることはなかった。
 やがて、俊哉は動かなくなった。冷たくなって動かない御佳子を抱き、力なくうなだれていた。
「…………ねえさーーーーーーーーーーーーん!!!!!!」
 叫びながら、彼は泣いた。



 俊哉は泣き続けた。泣いて泣いて、泣き続けた。



 そして―――涙が枯れた頃。



「ん……?」
 御佳子の机の上に、紙切れがあった。何かが書かれている紙切れが。
 俊哉はそれを手に取り、恐る恐る、読んでみた。





 俊哉。あなたがこの手紙を見ているなら、私はあなたに謝らなければいけない。あなただって同じくらい辛いはずなのに、私はあなたを置いて逃げたのだから。
 私は、もう耐えられなかった。毎日のように目にしたり耳にしたりしてしまう、激しすぎる誹謗や中傷に。
 あの事故、新聞は私達のお父さんとお母さんの不注意が原因だって言った。
 多分、あなたもそうかもしれない。いえ、そうであると信じたい。私は信じられなかった。事故の原因が、お父さんとお母さんにあるなんて。
 あの、仕事にはとても真面目だけど私達にはとても優しかった、お父さんとお母さんの不注意で、あの悪夢の爆発事故が起きたなんて。
 一度、お父さんとお母さんの仕事を見に行ったこと、あったよね? あの時のお父さんとお母さん、とても真面目だった。あの時は小さかった私達にも、子供が来ているから張り切る、って言うふうには見えなかったよね? 2人はそんなのがなくても、とても真面目だったよね?
 なのに、こんなことになるなんて。お父さんとお母さんが、あんなにも激しく責められるなんて。
 私は、そのことが耐えられなくて。でも、何か言おうとしても、ただかき消されるだけで。そんなんじゃ、抵抗なんてできない。どうしようもなくなっちゃった。
 俊哉、本当にごめんなさい。私は、先に行かせてもらいます。許してとは言わない、恨んでくれてもかまわない。
 身勝手な姉で、本当に、ごめんね。





 俊哉は再び、泣きたくなった。しかし、涙がすでに枯れ果てている。
 御佳子は恨んでくれてもかまわないと手紙に書いていたが、とてもそういう気にはなれなかった。
 むしろ、自殺を決意して、あまつさえ実行してしまった姉を、うらやましく、気高く思った。



 姉さん、俺だって同じ気持ちだよ。俺だって耐えられないよ。俺も、姉さんの所に行きたいよ。
 けど―――そう考えても、死ぬのは怖いんだ。
 姉さんみたいに、自殺をする決意をすることも叶わない。
 そういう決意をすることができて、しかも実行に移した姉さんを、俺は気高いと思う。恨めるはず、ないじゃないか。







































 ……アア、オレモモウ、コワレタミタイダ。















 ナンダカ、モウ、ツカレタナ―――――。









































 ―――――ネエサン―――――









































 こうして彼は、心を殺された。

















 その身体を、人形同然と成り果てさせて。





























































「では、次のニュースです。今日の午前10時頃、○○県△△市で、姉弟と見られる男女2人が死亡しているのが見つかりました。死亡していたのは矢川御佳子さん(17)と矢川俊哉さん(15)です。御佳子さんは首に痣があり、また発見現場にロープが落ちていたことから、同じく死亡していた俊哉さんに首を絞められて殺されたか、あるいは自殺したと見られています。また俊哉さんの死因は餓死とされていますが、詳しい調査が必要とのことです。この2人は先月、同じ市内で起きた爆発事故で死亡した矢川洋二さん・初子さん夫妻の子供で、事故のことで激しい誹謗・中傷を受けていた模様です。事故で亡くなった方の遺族が文句を言いに行こうとして矢川家に行き、返事がないことから矢川家に足を踏み入れたところ、死亡した2人を発見し、警察に通報したとのことです。鍵は、かかっていませんでした―――――」


















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