ウチの近くに公園がある。
 自然味1つない住宅街の真っ只中にあるその公園で子供が遊んでいる姿というのは、滅多に見られない。
 設けられているブランコは使われる事なく、時折吹く風に揺られてキイキイと音を鳴らしているだけ。
 今の世の中、そんな公園は吐いて捨てるほどあるんだろうと僕は思っている。





 ただ、その公園で子供を見かけることはさっきも言った通り滅多にないけれど、たまにベンチに座っている女性の姿を見かける。
 その女性は右手で筆をとり、左手でスケッチブックを支えている。傍らにパレット。
 こんな言い方をすれば女性が何をやっているのか、誰にだってわかるだろう。女性は絵を描いている。
 遠目で見ても大人っぽい雰囲気を漂わせている女性が描いている絵は、一体どんなものなんだろう。
 僕は気になった。




 女性は毎日、公園にいるわけじゃない。たまにベンチに座ってるって、さっき言った。
 女性がどういう時に公園に現れるのか、僕にはわからない。女性が現れる日にどういう共通性があるのか、僕にはわからない。
 思いつくのは、曇りの日や雨の日じゃなくて、現れるのは晴れの日。しかしこれだけじゃ足りない。同じ晴れの日でも、現れる時と現れない時があるのだから。
 以前に考えて、答えが出ずに放棄してしまった問答だった。答えは今も出ていない。


 僕が見たのは女性の表情だけだった。
 絵を描く事に対して一心不乱で、なれどどこか穏やかな表情だった。少なくとも僕が見た女性の表情は全て。
 感覚的に曖昧すぎる。遠目に見ただけじゃはっきりしたイメージは掴めないか。ある意味当然か。
 はっきりとわからないがゆえか、僕は気になった。













「あの……」
 僕は女性の真正面に立ち、声をかけた。
 気になりはするものの、本来僕は誰かに自分から声をかけるような積極性なんて持っていない。
 ただ、人間の心理には「気まぐれ」というものがある。だから今日のこれは気まぐれでそうしてみた。


 女性は愛想のいい微笑みを返してきた。
「私がここに来る時、いつも見てるわよね?」
 きっちりと指摘され、僕は少し恥ずかしくなった。


「絵、描いてますよね?」
 なんとか話題を作りたくて僕は口を開いた。
 しかし、今口走ったのは実質訊くまでもないことだ。
 右手に筆、左手にスケッチブック。これで、絵を描くこと以外にどんなことをしているのかを連想しろというのだ。
 女性は微笑んだ。どういう意図がその微笑みに込められているかは僕にはわからない。






「絵って言えるようなものじゃないと思うんだけど……よかったら見る?」
 女性はそう言った。
 いいのか、いくら僕があなたを眺めてたからって、赤の他人にそんなにあっさりと自分の絵を見せたりして。
 その思いとは裏腹に、身体は素直に女性の言う事を聞いた。内心、絵を見たがる好奇心は無意識に強いものだったのかもしれない。
 思いに駆られ、僕はスケッチブックを覗き込んだ。



















 そこにあったのは、青という色1つだった。
 いや、青1色ではあるが、場所によって薄い青だったり濃い青だったり。
 そんな青1色を、僕は見た。



















「これ……」
 拍子抜けしたのか、随分と気の抜けた声で僕は訊ねた。
 すると、女性は左手の人差し指を立てた。上を見て、と言っているっぽかったので、僕は上を見た。


 ここでようやく僕は理解した。絵の意味と、女性が現れる理由を。















 空は雲1つなく、太陽が白く輝き、空はどこまでも青かった。
 女性はこの快晴の空を描きたかったのだ。
 そして、この街で空を限りなく見渡せる場所が、この公園なのだ。




 そのことに気付いてから、僕は絵を見直した。
 薄い青は太陽の近くの空の色。濃い青は太陽から離れた空の色。
 絵の中のそれを見て、現実のそれに目を向けると、どちらもなぜが神秘的なように思えた。

















「好きなんですね」
 あえて主語はつけなかった。
「ええ。雲1つない空というのは清々しいから。滅多に現れてくれない分、余計にね」
 滅多に現れない――確かにそうだ。雲が少しでもあれば、それはこの人が望む空じゃない。しかし――




「雲のある晴れ空はどんな感じなんですか?」
 どうして女性はそっちを描こうと思わなかったのだろう。
 すると女性は寂しそうに微笑んだ。






「雲は、水みたいに、形を持っていないの。描こうとしても、ずっと同じ形のままではいてくれない。私では捉えきれないの」






 僕はきょとんとしているんだろう、今。
 雲が、水と同じ。僕にはそう思えなかった。
 水に比べれば、雲の形というのはそう簡単に変わるものじゃないと思っていたから。





 女性は僕の顔がおかしかったのか、やんわりと言った。
「気にしすぎかしら、私?」
 それから、おかしそうに微笑んだ。






 気にするしないの問題じゃないような気がした。
 女性はどこまでも青い空というのを描きたがっている。僕にとってはそれだけのこと。
 女性はどこまでも青い空というものに強い関心を抱いたから、今、こうして描きつづけている。僕にとってはそれだけのこと。








 物の見方は人それぞれなんだな、ということを僕は感じた。








「そんなこと、ありません」
 気にしすぎていたのは僕のほうだった。それは口には出さなかったが。
 女性は雲1つ無い青空が好き。それならそれでいいじゃないか。














「邪魔しちゃいましたね。すいません」
 僕はちょっと申し訳なくなり、ぺこんと頭を下げた。
「いいのよ。むしろこっちが感謝したいくらい。私の絵に興味を持ってくれたのだから」
 ……前言撤回。そう来るならこう言っておこう。




「……ごちそうさまでした」






 これでいい。
 今日はいいものを見せてもらったのだから。
 また女性はおかしそうに笑ったけれど。











 僕は踵を返した。「さようなら」あるいは「また会いましょう」と、言わずして言う。
 女性は再び絵描きに戻り、僕は単なる近所の人に戻る。















 今日の空は、相変わらず雲1つ無く青かった。




















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