「えれえ時間かかんなあオイ……ユーウー、ホントにだいじょぶかー!?」
「だーいじょーぶだってー! ちゃんと覚えてっからー! 焦ってんのか、ダイシー!?」
「うわ、ちょ、湖島、前見て前見て前見れー!?」
「わ、待て、矢島、そっちも落ち着け! ゆれるゆれる!」
「オイコラ、しっかりしろ前ー!! あとダイシ、耳元で怒鳴るな! うるさい!」
「いやゲン、お前も声でけーから……あーもー、緊張感ねーなー、なんかよー!」
 件の河川敷に向かう道中。案内役は前のユウとヤッツンの二人乗り自転車なわけだが、ヤッツンがビビリ入ってるせいでバランスが悪く、やや左右にフラフラしていて危なっかしかった。しかもそのバランスを保とうとするのに気を取られていて、せっかくの自転車なのにスピードを出し切れず、進行はのろのろとしている。さらに俺の側(ペダル漕いでんのはゲン)はそののろのろ自転車についていかないとならないため、同じくスピードが出せずそしてバランスが崩れ気味になっていた。
 要するに、順番は逆だが二台ともロースピードアンバランス状態というところだ。やっぱ二人乗り二台は無茶だったかなーと思っちまうが、他に手がないのでどうしようもない。もしかすると喧嘩よりも向こうに着くまでの行程のほうが疲れるんじゃねえかと思っちまうが、それでもやっぱりなにはなくともどうしようもない。日本語おかしいのは気にすんな。
 とにかくそれでもなんとか自転車漕いで(俺視点では漕いでもらって)、前へ前へと進む。早くしねえと咲良が危ない、けれどもどうにも緊張感がわかないのは自転車自体の危なっかしさでわーわーぎゃーぎゃーやっているせいだろうか。これじゃ咲良の前に俺らが危ねーよとかそんな本末転倒なことを考えたりもする。
「あー、見えた見えた。やっと橋だ、アレ!」
「え、アレ……電車の橋かよ! なんだよ、最寄駅あったんじゃねえの!?」
 叫んだとおり、見えたのは電車の橋(きちっと言うならば鉄道橋)だった。車道の橋とは違って無骨に鉄骨組みましたって感じの、なんとなくだがでっかくて力強そうに見える橋。
「最寄駅、あるにはあるけど向こう岸なんだよー! こっち側はこっちから来ないと無理ー!」
「けど向こう岸だったらどーすんだよー!」
「人さらいしたヤツラが電車なんか乗るかよー!」
「おめーらうるせー!! 会話すんなら同じ自転車乗れよコラー!!」
 会話してたのは俺とユウで、距離があったから大声で会話してたんだが、ゲンがキレた。まあもう着くんだしいいじゃんゴメン、ったくよー、そんなやりとりですぐに落ち着いてはくれたけど――そんな調子でやっともうすぐ目的地、というところ。
 けれど自転車を止めようとした矢先のことだった。河川敷のほうに目をやると、ちょうど鉄道橋の柱の影から二人が出てきて、こっちに上がってくるのが見えて――って、アレ、
「え、ちょ、咲良、宮月!?」
 思わず声を張り上げてしまったが、今度はゲンからの怒声は飛んでこなかった。俺の声をきっかけに全員が向こうを見つめて、そしてあっけに取られていた――咲良も宮月も、二人とも、全然なんともなさそうというか、むしろなんともなさそうすぎておかしいような――
「……うわー、来ちゃったんだ……別にいいって言ったじゃん」
 困った顔をしながらも、咲良はしれっとそう言ってのけた。口調といい姿といい、あまりにも余裕がありすぎるように見える。
「……いや、お前……つーか、結局、どうなったんだ?」
「終わったよ、全部。宮月もほら、無事じゃん」
「いや、全部って……何が、あったんだ? まさか喧嘩なんてありませんでした、とか言わねーよな?」
「それは言わないけど。喧嘩はしたよ。全員片付けてきたけど」
「……全員ってやっぱ複数……何人いたんだ?」
「えっと、十二、三人くらい?」
 はあっ!? と、俺ら四人はものの見事に揃って驚きの声を上げた。そこからしばらくは誰もが何も言えないまま時間が過ぎる――咲良の言葉を、俺を含む四人全員が飲み込みきれないでいるらしい、っつーか当たり前だ。動作の遅いパソコンみたいにどうにかさっきの言葉を飲み込もうとして時間が過ぎる間、隣の宮月は咲良にきつい視線をやってから憂鬱そうに溜息をつき、そして口を開いた。
「みんな、なんていうか……ホント、ごめんね?」
「えーと、いや……お前が謝ることじゃ、ねーよ?」
「ううん、さらわれて迷惑かけたっていうのもあるけど……せっかく来てくれたのに、ねえ」
 立場ないでしょ、と苦笑しながら宮月は言った。どうも申し訳なさはそっちのほうに込められているようだ。横ではなんだよそれと咲良が不満そうにしているが、お前のほうがなんだよそれだっつーのと突っ込んでやりたい気分だった。
「……マジで、お前、その、十二、三人を、ひとりで、やったのか?」
「それ以外にどう見えるの」
 即答。あまりのきっぱりぶりに言葉が一瞬続かなかった。向こうは向こうで俺らのそういう反応に首を傾げるが、俺らは俺らで言われても未だに信じられない。体格だってこの中にいる男の中で一番小柄だし、しかも見た目細っこくて一番喧嘩に向いてなさそうなヤツなのに、それが見たところまったくの無傷で十人以上もの相手を片付けた、だと――はっきり言って信じられるわけがない、のだが、その信じられない話が目の前の現実のようで。
「……つーか、コラ、お前、無事なのはいい、無事なのはいいけどよ……」
 やっとの思いってやつか、俺らの中で最初にそう口を開いたのはゲンだった。まだ驚きが強すぎたりもしているが、その声には苛立ちも混じっているようだった。対する咲良はそれを受けてなおも平然とした様子でいる。
「なに?」
「ダイシに言ったそうだな……指、大事にしろ、だと? 余計なお世話だってんだよ! お前のやってることのほうがよっぽど無茶だろうが!!」
「何言ってんの。ギターにしてもベースにしてもドラムにしても、細かい指使いがあってなんぼの楽器じゃん。ひとを殴るとかしたら、指、壊れるかもしれないよ? そっちのほうが無茶っていうか駄目だと思うよ?」
「だからってお前なあ、十人に対してひとりでやりあうとか、何考えてやがる! 普通それで無事を信じるほうが無理だっつーの!! 俺ら、宮月よりお前のほうが心配だったんだぞ!? マジでどんだけ心配したと思ってやがんだ、えぇ!?」
 ゲンのやつ、いつになくキレっぷりが激しいなァ――言ってることについてはゲンに同意するものの、あまりの怒りように俺は口を挟めずにいた。周りもどうやらしばらくは傍観を決め込むつもりらしい。
「……ええと、それは、もう、なんていうか、ごめん」
「だったら二度とこんなことすんじゃねーよばっきゃろ!! こういう状況で頼りにされねえ時点でなめられてるとしか思えねえからすっげえムカつくんだよ!!」
「……頼っちゃいけないんだよ、こういうのは……相手がどんなに信用できる人であっても、ね」
 また即座にゲンは言い返そうとしたが、後ろの言葉を聞いた途端にその勢いがぴたりと止まってしまった。眉をひそめ、どういうことだよと訊ねる。厳しい口調ではあったものの、怒りにまかせて出たものではなくなっていた。
「結局、喧嘩ってことは暴力沙汰だもの。かかわる数はできるだけ少ないほうがいいし……誰にも、怪我してほしくなかったし」
「……一理あるのは認めてやる。けど、その怪我うんぬんに咲良、お前自身は含まねえのか」
「誰にも、とは言うけどね。でも誰かがやらなきゃいけなかったって話でもあるし。だったら僕がやるよっていう、それだけの話だと思うけど?」
「その考え方が腹立つわバカ。結局お前、こういうことに関して自分以外信じてねーってことだろ」
「……そうなるのかな? でも、あくまでこういうことだけだからね。……本番じゃ逆に僕、頼りにしなきゃいけないんだしさ?」
 そこで咲良は微笑んだ。おそらく苦笑なんだろうが、その表情でゲンは完全に勢いを削がれたようだった。毒舌はそのままなものの、もうそこに怒りは見えない。
「……次こんなことあったら、ひとりで行くなんぞ許さねえからな。今日のところはこんくらいにしといてやる」
 そう言って、ゲンは咲良の頭を一発はたいた。痛い、と反射的に頭を押さえる咲良にふんと鼻を鳴らして、ゲンは話は終わりだというように一歩下がった。そのゲンにもういいかと訊ねて、頷きをもらってから今度は俺が前に出る。
「咲良、俺も正直ゲンと同意見だかんな。今回は結果オーライだからいいけど、こういうのは勘弁してくれ、ホント」
「……ええと、なんか、やっぱすごい心配かけたみたいなのは、ごめん。うん」
「つーかお前、今、なんでこんなに心配されるのかなとか思ってやがんだろ。普通は、心配、されるぞ? あと特に俺からしてみたら、お前は稀代のボーカリストなんだからな?」
「指を大事にしろっつうけどさ、結局オレらから見ても同じなんだよー。咲良、お前も自分の身体大事にしろよな。それにダイシ、ほんと、お前にすげえ期待してんだからさー?」
「おう、ユウ、サンキューナイスフォロー。まあ、そういうことだ。怪我すんなってのは俺らにも言えるしお前にも言えんだよ。そこんとこはわかっとけ。以上!」
 咲良は何かを言おうとしたが、以上、の言葉を意図的に強く言った効果か、ぐっと押し黙った。それでも本当に納得がいかないなら反論が来るだろうと思っていたので、これはなんとか理解してもらえたかなとちょっとほっとした。
「もういいの? うん、ていうかやっぱり漂くん、無茶よねぇ」
「あれ、宮月、お前もそう思う?」
「思うわよー。白共くん、それに相川くん、あたしも同じ意見だからねー」
「てか咲良よー、助けにいった相手にまで無茶って思われてどーすんだよ」
「どーするって言われても……そんなに?」
「……おいダイシ、もっかいこいつ殴っていーか? また腹立ってきた」
「おちつけよーゲン、もういいじゃん。咲良、ひと暴れした後だから疲れてんだし」
「ちっ、ユウ、お前はどーなんだよ。のんびりしてっけどよ」
「オレ? まあオレもそんなに意見変わんないけどさ、結局ダイシとゲンに台詞全部取られたし」
「なんだよそれ」
「矢島、お前はどーなの……あれ? ちょっとダイシ、みんな、ストップストップ!」
「んあ、どーした?」
「いや、矢島、いねーんだけど!」
 ――ユウ以外の全員が固まった。いつのまにいなくなってたのかという心配からか、それともユウが気づくまですっかり忘れてたという後ろめたさからか――俺は実は後者だった。そういえば全然話に絡んでこなかったなと気づいたのは指摘の後だったりした。
 が、当のヤッツンはすぐに見つかった――俺らが帰ろうと歩き始めた中、ひとりだけ河川敷に降りる道に座り込んで、遠い目をしていやがった。
「……オレってなんなんだろ……結局咲良に持ってかれてんじゃん……身、引こうかな……」
 ぶつぶつとそんな呟きが聞こえてきて――反射的と言ってもいいくらいの素早さで動いたのは、名前を出された当人、咲良だった。あっという間にヤッツンのほうに走り寄り、見事なスリーパーホールドを極めていた。
「ぐ、ぐるじ、ギブギブギブギブ!!」
「うるさいお前ちょっとホント根性叩きなおしてやらー!!」
「ちょ、ま、じぬじぬじぬじぬっ……!!」
 さっきまでの落ち着いた様子が嘘のようにがなり散らす咲良と、そのターゲットになってしまった哀れなヤッツンの図。
「……ちょっと、なんかすごいウケるんだけどー?」
「おい、それ彼女の台詞じゃねーだろ……お前も結構酷いよな」
「そう? そういう白共くんも顔が笑ってます、よー?」
「てかさ、最初は意外だったけどわりともう慣れたよな、オレら、咲良のあんな様子さ」
「そうねー……でも去年はもうちょっとカッコよかったかなー。今、むしろかわいいってカーンジー」
「そのギャル口調やめろ宮月。まあ、かわいいっつうか……俺が言うのも何だが、親しみやすいっていうのか、アレは」
「もう、相川くんマージメー。うん、そうとも言うわね。いいことだわ、すごぉーくいいことっ」
 結局、怒声を上げる咲良と悲鳴を上げるヤッツンのやりとりは、面白いからという理由で誰にも止められることなく続いていた。特に宮月の楽しそうなことといったら――本当に、心底、それはもう楽しくて仕方ないと言わんばかりに――思いつく限り強調の言葉を並べてやりたいくらい、宮月は楽しそうに、くすくすと笑っていたのだった。