俺はお前を殺すよう、金で契約を結んだ。
 お前には会ったことはないが、特徴や個人情報、連絡先、写真は入手している。
 俺の部下が常にお前を見張り、殺人の指示を待っている。
 警察は何もしてくれない。警察に連絡を取ろうとしたら、即座に殺す。
 電話も盗聴している。
 唯一生き残る道は、このメッセージを受け取ってから24時間以内に俺に連絡を取ることだ。

 ある日のこと。
 宮月に屋上に呼び出されて、何かと思いつつ行ってみたら、こんなメールが来てたんだけどと言って見せられたのが、その文章だった。
「…………、何コレ」
「さあ? 知らないアドレスからいきなり届いてたからさー。スパムメール、ってやつ?」
「……こんな物騒なスパムもあるんだ……」
「ねー。物騒だからうっかり信じかけたわ、最初」
 僕が呆れている横で、宮月は苦笑いしていた。とりあえず対処法としてはいつもみたいに無視すればいいだけらしいけど、それにしたってこんな文章は嫌過ぎる。
「アドレス変えたほうがいいんじゃない?」
「そうねー、面倒だけどなぁ……でもまたこんなメール届くのも嫌だししょうがないかなー」
 そう言って、宮月がはぁと溜息をつく。いつも溜息というのは僕のほうがしょっちゅうついているせいか、自分以外がそうするのを見るのは妙に珍しい気分だった。
「……で、用事ってそれだけ?」
「んー? ううん、ちょっとねー」
 一転、楽しげな声と表情が返ってくる。その反応で、ああやっぱり別の話があるのかということだけはなんとか理解する。多分そのスパムメール絡みのことなんだろう。
「実際あたしを殺そうとする人がいても、漂くんだったら守ってくれるかなって、ちょっと気になっちゃってねー」
 そう言って、彼女はおかしそうに笑う。だから呼ばれたのかと思い――真っ先に僕が感じたのは、呆れだった。
「なんで真っ先に僕なんだよ……そういう話だったらそっちの場合、先にヤッツンじゃないのかよ」
「だって漂くんのほうが強いじゃん?」
「即答かよ」
 ヤッツン――啓太がかわいそうだ、と思った。そういうシチュエーションで頼りにされない彼氏というのも、どうなんだろうか。これはまた説教に行かないと駄目か、とうんざりする羽目になった。
「だってさー、彼、弱そう……っていうのは言いすぎかなと思うけど、喧嘩なんてしなさそうだもん。漂くんも見た目はそんな感じだけど、でも実際に喧嘩して圧勝しちゃってるところ、何回か見ちゃったしねえ……」
 そこまで言うと、宮月は再び苦笑いを浮かべる。対する僕は言葉に詰まった――そう来られると弁護のしようがない。弱そうにしとけばよかったかなと一瞬思ったが、喧嘩になるようなシチュエーションだと負けたときのほうが絶対酷いことになるので、やっぱり弱そうにしてるなんてそんなわけにはいかず――ヤッツンより僕のところに来るのはもう、ごく当たり前にそうしたほうがいいからということになるらしい。
 ただし弁護はできないが反論はまた別で。
「守ろうとするにしたって、ただの喧嘩と殺意持ったヤツの相手だと、また違うと思うけどなぁ……大抵、相手のほうが強かったりなりふりかまわなかったりだから、逃げる方向で考えたほうが」
「そういう場合って、ちゃんと一緒に逃げてくれるんだよね?」
 最後まで言い終わらないうちに、確信に満ちた声を挟まれた。はっとして彼女の表情を見ると、そこには笑顔があった――どうも考えや行動パターンを読まれきっているようで、悪いとまでは言わないが複雑な気分になる。
「……一緒、なのは、当たり前だろ。第一、守ってくれるかなとか聞かれといてさ、君を置いて逃げますよなんて言えるわけないだろ」
 そう言うのががやっとで、案の定ひどく楽しげなくすくす笑いが返ってきて、今度は負け気分になってしまった。
「それはそうだろうなと思うけど、ねー……」
 と、そこで一転して憂鬱そうな表情になり、宮月はやけに大きく溜息をついた。
「……どうしたの、急に」
「ううん。本当、言うとね……あたし、そういう状況になったら、漂くんには、あたしのことは構わずに逃げて、って言うと思うの」
 は、とほぼ反射的に間の抜けた声が出た。一瞬思考停止状態に陥って、何を言われたかを理解するのにたっぷり十秒はかかった。
「ちょ、ま、えっと、何言って……守ってほしいん、じゃ、ないの?」
「普通は、そう言うけどね。……漂くん、優しすぎるから。前にも言ったけど」
 苦笑を浮かべながら、宮月は語る。僕はあっけにとられて、言葉がまともに出てこなくなっていた。
「あたしに限らなくても、なんだかんだ言って、漂くん、苦しんでる人は全力で助けようとするでしょう。本当、自分のことなんか二の次三の次ってくらい全力でさ」
 彼女の言葉が響く。聞かせようとしているのかいないのか、固まってしまった僕をよそに彼女は語る。
「その結果、人を助けることはできても自分が死んじゃうなんてことになりそうな気が、すごくするの。漂くんみたいな人は」
 そこで一旦言葉が止まり、彼女の目があらためてこっちを向いた。先程までの軽そうな様子はどこにもなく、ひどく真剣な表情で見据えられて――僕の中のどこかから、ぎくり、と音が聞こえたように思えた。
「誰かに優しいところは、好きだよ? あたしだけじゃなくて他の誰でもに向ける優しさの部分はね。でも、もうちょっと自分にも優しくしてほしいなって思うの」
「……、っ、けどっ」
 やっとの思いで言葉を絞り出した。宮月は言葉だけを止めて、表情を変えずに僕を見ていた。
「守らなきゃ……守らなきゃ、壊されるっ、奪われるっ。そうなってからじゃ、遅いじゃないかっ」
「だとしても、全部にあなたが手を貸す必要はないでしょう? ……私は」
 僕は、何かを言おうとするだけで必死だった。対して宮月は、今の僕には不気味に見えるくらい落ち着き払っていた。そして再び僕の言葉をさえぎり、語る。
「私は、まずは自分でなんとかする。なんとかできないってちゃんとわかってから、あなたに助けを求めるから。……求めた時にだけ、手を貸してくれればいいの。私だって、漂くんに無理なことはさせたくないもの」
 その言葉が終わったかと思った瞬間、僕は宮月に引き寄せられた――抱かれた、と認識するのに時間が少しかかった。少なくとも今の僕は、あらゆる意味で今の彼女には逆らえないということを、思い知らされた気がした。
 何も言えなくなり、おとなしく抱かれる体勢になったせいなのか、一気に意識がまどろんできた。そのままずるずると、彼女の膝の上に自分の頭が滑り落ちていく。
「……おやすみ、漂くん」
 ゆっくり寝てていいからね、と穏やかな声が降ってきた。優しすぎると言われた挙句、逆に今は僕が優しくされているのだろうかと思い、穏やかならない気持ちになりかけたが、結局言葉にする前に意識が途切れ、僕は眠ってしまった。
 優しい人の膝の上で。