「で、今日はどうなの? 練習あるの?」
「……いや、今日は帰る。先に向こうにも言ってあるけど」
 文化祭までは今からまだ二ヶ月近くもあるけれど、早く練習しておいたほうがいいに越したことはないということで、もう今から取り組んでいる。ただ他のメンバーはもともと音楽やってるってことで慣れているらしい中、僕だけがそうでない。畑違いがいきなり参加することになって慣れないことが多く、そのせいか疲れが溜まりやすい気がしている(とは言っても多分そのほとんどは気疲れから来ているんだろうと思うけど)。
 幸いなのは、主に白共が僕のそういうところを考えてくれているのか、休みたいって言ったときは素直に休ませてくれることだ。ただしそれも今のうち、始めたばっかりのうちだけだ、とも釘を刺されたけれど――そのことには同意できなくもない。練習スケジュールとして大まかに聞いたところでは、まずゴールデンウィーク中に集中練習をして、それ以降は日曜日でも学校に出るなど時間的にも、そして内容的にもだんだん厳しくしていくつもりらしい。
 けれどそういえば、『だんだん厳しくしていく』と言われたあたりで、同時に謝られてもいた。歌うのはお前であってほしいけど、無理矢理引き込んだのは悪かった、と――とりあえず返事の代わりに頭を一発はたいて、かえってムカつくから今更そういうこと言うなと毒づいてやったら、なぜかにやりとされて、気持ち悪い思いをさせられたまま会話が終了してしまった。
 またしてもくすくすという笑い声が聞こえてきて、後ろに目をやった――体勢上、表情は窺えなかったけれど、それでもからかわれているようなのが想像できてむっとしてしまった。
「漂くん、漂くん、それ面白すぎだから。あたしでこうなんだから、白共くんから見たらもっと面白かったんでしょうねー」
「なんだよそれ」
 腹が立ってまた肘に力を込めて引っ張ろうとしたら、今度は抵抗されて引っ張り合いになった。相手がおとなしく引っ張られている時と違って、腕全体がものすごく張り詰めている感じがする。それでいて相手も引っ張っているから、すぐに腕が痛くなってくる。はっきり言ってかなり疲れる――それなのに僕も宮月もやめようとしない。こういう場合、先にやめてしまうと負けた気分で面白くない。向こうもそれは同じのようで、呻き声まで洩らしながら一生懸命こっちを引っ張ってくる。
 偶然か、それとも負けず嫌いの意地がそうさせたのか、結局その引っ張り合いは二人同時の脱力で引き分けになった。それでも僕が微妙にイライラ気分だったのに対して向こうはまたくすくすと笑い声を洩らしているという、この気持ちの差はいったいなんなんだろうか。
「ていうか、そっちはどうなんだよ」
「どう、って何が?」
「ヤッツンは? 今日、どうしたんだよ」
 無理矢理話題を変えたというか、僕の話ばかりが語られていたので向こうはどうなんだという気持ちで言ってみた。本来なら今の宮月の一番近くにいるべきは僕じゃないはずだけど、気にした様子はほとんど見られない。
「どうしたと思うー?」
「いや、わかんないから聞いてんだけど」
「えー、ちょっとは考えてみてよー……んー、まあ、大したことじゃないけど」
 たまたまこういう日もあるわよと続いたけれど、納得いくわけがなくて――と不満そうにしたらまた笑い声。いい加減聞き飽きてきた気がして、聞き飽きるほど笑われていることに気づいて軽くブルーになってしまった。
「まあ、心配されるほどじゃないですよー。それなりに上手くやってるから」
 結局質問に答えてもらっている気はしなかったものの、声の調子が明るかったので、心配して損したような気分になりつつ追及を諦めかけた、時。
「ただねー……矢島くん、今みたいにこうやってくっついたりしてくれないのよねー。恥ずかしがっちゃって」
 そこがちょっと不満かなあという声がした途端、それまで背中合わせだった姿勢から宮月が動いた――と思った間、というかあっという間、なぜか僕は彼女に押し倒されていた。あまりにも無理なく、押し倒されたとは言うものの背中を地面に打ち付けたという感触もなく。
「……えーと、何コレ」
 見上げての問いにも、彼女は笑顔を浮かべるだけで答えず、そのまま身体全体で覆いかぶさってきた――彼女はこういうことがしたいのだろうか。彼氏相手にはできないから僕にするのだろうか。
 いろいろと考えはするものの、訊ねる余裕はなかった――唇を塞がれ、反射的に振り払おうとしてしまうのをどうにか抑え込むのが精一杯だったのだ。
 結局そこから先、僕も宮月も何も喋らなかった。彼女が僕と唇を重ね、身体を抱え込んでぎゅっとくっつくのを、僕は無抵抗で受け入れていた――あくまでも僕から彼女に手を出してはいけないと思ったから、今そうしていいのは僕じゃないと思ったから、だから無抵抗を通した。


 高校二年に上がったばかりの僕らの、ある日の放課後。
 くだらないじゃれ合いをして、僕らは過ごしていた。