「ちーっす」
「ちーっす……あれ、白共くん? 漂くんは?」
「今、部室で寝てるよ。とりあえず俺、代理な」
 放送室に足を踏み入れるなり、宮月とそんなやりとりを交わす。室内には森原と伊知川、宮月と――あとひとり、見覚えのない女子がいた。
「何、女子ばっか? あれ、つーか宮月、ヤッツンは?」
「屋上で一緒だったんだけど、放送で呼ばれたのあたしだけだったからねー」
「いや、別に一緒に連れてきてもよくね?」
「やー、でもこれからの用事のこと考えると、漂くんが八つ当たりしそうな気がしたのよね」
「あー……まあ、今いねえけど」
 ひとまず俺は苦笑いした。本来ここにいるのは咲良のはずなのだが、精神的疲労のせいで今は第二音楽室で寝込んでいる。それはそれでよかったかもしれないと思う。どうやら今この場に男は俺ひとりしかいないようで――咲良だったらもうその時点でうろたえているかもしれないし、用事とやらが始まればその度合いがひどくなるかもしれない。代理に出て正解だったな、というのが俺の結論。
「えーと、あと。そいつ、誰だ?」
 そう言いながら視線をやると、その女子は恥ずかしそうに俯いてしまった。縮こまっていて、何やら気が弱そうな雰囲気だった。
「あ、彼女、あたしと同じクラスの結宮さんね。ライブ見そびれちゃって、今日DVDの試写会やりますって言ってたら、見たいって申し込まれたから」
 そう説明したのは森原だ。見そびれたというのはなるほどとも思う。多分、あのライブの雰囲気には気圧されはじかれてしまいそうなタイプだ――もっとも演ってた俺らから見りゃ、ギャラリーは誰も彼もみんなハイテンションだったので、もともと誰がどういう性格だったかなんてわかりゃしなかったんだが(あ、宮月だけ除く)。あの観客の中には元からテンション高いやつもいれば、元は内気なやつとかがいたかもしれないし、けれどそんなのは関係なしにライブは大熱狂大盛り上がり大成功だったってところか。
 要するに、もったいねえなぁとちょっと思ったが、今更言ってどうなるもんでもなし、それどころか言ったってその結宮って子が傷つくだけだろうし、リアルタイムにゃ劣れども今からいつでも見れるんだし。
「……というわけで」
「何が『というわけで』なのよー。なんか考えてた?」
「あ、やー、つい」
 森原に突っ込まれてぎくりとしたが、なんとか軽く流して。とりあえずどんな具合に撮れたのか、試写会開始と行きましょうかい。
「全部あたしが撮ったんだからねー。特に白共くん、じっくり見なさいよー?」
「あー、はいはい。……んあー、なんか緊張してきたなー」
 宮月が強調入れてきたおかげで今気づいたが、俺はこうして客観的視線でもって自分のやったライブを見るのは初めてなわけだ。どんな映り方してんのか、どんな振る舞いをライブの時やったのか。そういうのって後から見ると結構恥ずかしいものがってのがよくあるパターンっぽいが、まあ、そこまでひどい映りようではないものと思いたい。
「じゃあ、まずはメインのステージ演目編ね。スイッチ、オンっと」
 森原の指が、DVDプレーヤーの再生ボタンをカチリと押した。その途端に全員が黙り込み、視線がテレビ画面に集中した。


「どう?」
 とりあえずメインステージまで終了。森原に感想を訊ねられる。
「……こーして見ると、なに俺ひとりで喋ってんの、って感じなんだけど。不思議だなぁ」
「不思議なの?」
「あー、うん。喋ってる時は普通にやってたつもりだったけどな」
「まあ、そういう進め方で行きますよって打ち合わせてたわけだしね。で、白っちゃんが気になるのはそこなわけ?」
「おう。歌は……まぁ先に俺が言うのもアレだろ。どうよ、実際聴いてて」
 ここで俺は女性陣に訊き返す。アレというか、歌に関しては演奏者が先に感想言うのもなぁと思っただけで深い意味はないが。
「んー、これは、まずはねー……結宮さん、どうだった?」
 俺の言葉を受けたのは伊知川、そしてそのまま別の女子に話を振る――関係者でない、ライブには不参加、でもDVD試写会には参加志願というちょっと条件的に特殊な風の結宮に一番に話が行くのは、まあ自然な流れかなあと思うのだが、それでも途端に顔を赤くして俯くその様子はこの流れが予想外でしたと言わんばかりで、ホントに内気なんだなあと、そういう印象が強まるばかりだ。
 伊知川がなだめるような笑顔を向けてゆっくり落ち着かせている。それに任せつつ、俺はのんびりと言葉を待っていた。
「えっと、あの……漂……くん、声、綺麗ですね……すごく……すごく」
 ――ぽつりぽつりと呟かれた言葉の中で、名前の呼び方が妙に引っかかった。苗字でなく下の名前を、やたらと言いにくそうに呼ぶ。おそらく結宮が咲良と会話をしたことは一度もないはずで、それだったら普通は苗字呼びになるはずだ、っつうか俺らバンドメンバーや森原たちとか、知り合ってまだ日が浅い人間は未だに苗字呼びだ、っつうかさらに言うと咲良の下の名前を気軽に呼んでんのは、俺の知る限り宮月たったひとりだけなのだ――その記憶を手繰った矢先のこと。
「うんうんそうよねぇ、漂くんってホント声綺麗だわ〜。あたし当日も聴いたけど、うん、ステキ」
「もー、ミズイちゃん、すっかり惚れちゃってー。漂くん今大変みたいだから、押しかけちゃ駄目だよー?」
「まあ、漂くんがもてるのは、彼のこれからのためにはいいことなんだけどねー。なんかあたしに変なとばっちり来てるのがねー」
「漂くんとみっちゃんが付き合ってんじゃないかって話ー?」
「うん。一応あたし、もう彼氏いるのよ?」
「一応ってつけたら説得力ないですよー。ほら結宮さん、みっちゃんと漂くん、一応、そういう関係じゃないのよ?」
「そういうナエちゃんも一応ってついてるわよー」
 ――ちょっと待て、字面だけだと誰が喋ってるかすっげえわかりにくいっつうか、特に森原と伊知川、なんでお前ら急に咲良のこと下呼びになってやがる――突っ込みそうになったところをどうにかこらえられたのは、結宮の存在のおかげだった。もとは彼女がなんで咲良のことを下の名前で呼ぶのかを疑問に思ったものの、それを訊ねるのは野暮だと思ったからこそ、なんとか踏みとどまることができたのだ。
「んー、白っちゃん、どうかした? 難しい顔してるけど?」
「……なんでもねえよ。てかまだビデオ、続きあんだろ。むしろこっからが本番だろ?」
「そうねえ、こっちのほうが撮影時間も長いもんね。結宮さん、次、結構刺激強いけどだいじょぶ?」
「だ、大丈夫……です」
 ――森原、その表情の落差はなんだ、なんで俺のほう向いた時はえらくニヤニヤしてやがったんだ――終わってからだ終わってからにしろ、と自分に厳し目に言い聞かせてから、俺は再びテレビに目を向けた。


「……んー、やりたい放題ねぇ、みんな」
 くすくすと笑いながらそう言ったのは、というか最初に口を開いたのはまたしても森原だ。言われたとおり、改めて見るとホントやりたい放題だなとは俺も思う――思うのだが、それを象徴しているのは映像の中では俺じゃなくて――
「ていうか、漂くん……だよね、これ、歌ってるの。なんだか別人みたいだけど」
 これは伊知川の感想。残念ながら咲良本人だよ、と俺は言ってやった。まあ普段は物静かで目立ちたがらなさそうなアイツが、ビデオの中では暴れて叫んで観客煽ってハイテンションと来た。別人だと疑うくらい全然性格が違って見えるのも、無理はないだろう。
「本人の感想聴きたいわねー、これって。案外、一番びっくりしてたのって漂くん本人かもしれないし」
「あー、僕にもこんな一面があったんだ、みたいな?」
「あはは、ありそうありそう。てかあたしそれ思ったもん、えー漂くんこんなはっちゃけちゃってーって」
 また始まったおいちょっと待てホント誰喋ってんだかわかんねぇよ、と思いつつ(まだ口には出さない)女子の会話に耳を澄ます。概ね、感じるところは同じらしい――ますます本人連れてくりゃよかったなーと思ってしまうが、今更連れてくるのもなとか大人数の前で見せるとまたパニクってぶっ倒れんじゃねえかなとかそんなことを考えて打ち消しておく。
「で、結宮さん、今度のはどう? 大丈夫だった?」
 また森原がそう話を振る。なんだかもう役割として決まってきてるような慣れた調子。
「あ、うん……なんだか、すごかった、です。すごいドキドキして……」
 ドキドキと来ましたかい。まあ気持ちはわかるというか、わりとスタンダードな言葉だなとは思うが――そんな彼女も、もし生でライブを聴いていたとしたら、画面の中の咲良や観客のようにハイテンションになっていたのだろうかと、さっきは今更だと思った事を気にせずにはいられなかった。
「うん、すごいねー。特にどのあたりが?」
 同意しつつ伊知川がさらに突っ込む――口調はあくまでもやわらかく。でも結宮がすごいと言いそうな部分はやっぱり、
「漂、くん……今まで静かそうなイメージがあったのに、こんな一面もあるんだ、って……みんなの、言うとおり、です」
 内容自体は、他の女子が喋ったものとあまり変わらない。ただ結宮の場合は咲良の静かそうという部分をイメージで語っているところがちょっと違う、と感じた。俺らの場合は咲良の性格を直に知っているから違ったアプローチになる。まあそれでも知り合う前に俺が持っていた咲良のイメージというのは、実は結宮が語ったものと結構似たようなもんだったんだが――静かそう、格好よく言えばクールってやつか。
 しかしまあ、あらためて咲良ってヤツはお得なヤロウだな、とふと思った。黙っていりゃ格好よく思われ、表に立って歌うとその格好いいイメージに拍車がかかって異性にキャーキャー言われ、でも仲間内にはいじりがいがあってかわいがられて――チクショウあんの人気者くんめが! などと、一瞬だけ無性に毒を吐きたくなった。


 それからしばらくわいのわいのとDVDの感想を言い合ったのだが、おそらくこの会話を声だけにして聴いていると、女子四人中三人の区別がつかなくなることだろう。そのせいか――そのおかげというべきか、残る一人の存在がより深く印象に残ることになる。
 が、後でその印象の残り方というのは、女子三人もある程度そうなるように意図していたというか誘導したというか、そういうことに気づかされる。そのきっかけが、感想会が一段落してからの、森原の次の言葉。
「さてさて白っちゃん、ここで質問です。今までのあたしたちの会話で、何か引っかかる部分はありませんでしたかー? まあ、その顔だと気づいてらっしゃるみたいですけどぉ〜」
 わざとらしく語尾を伸ばした敬語で訊いてきやがった。やれやれと溜息をつきつつ、俺は素直に答えた。ポイントはただひとつ――
「咲良のこと、ずっと漂くんって呼んでやがったな? ……たぶん、結宮……さんが何かわけありで最初からそういう呼び方で来てて、事情を聞いてから合わせたってとこか」
 さすがに声出して喋る時に呼び捨てはまずいと思ってぎこちなくも修正したが、結宮がらみの事情であることはほぼ間違いないだろうと思ってあえて名前を出した――その時、当の結宮がまた顔を赤くして俯いたのを、最初は自分の名前を出されたからだと思って軽く流していたのだが――
「うふふ、白っちゃんはさすがにそこまで鈍くはないですか〜。うん、正解。わけあってあたしたち、咲良くんのことをあえて下の名前で呼んでました。それはなぜか、実はもうひとつ、最初のほうにヒント用意したんだけど、わかりますか〜ぁ?」
 ヒントなんてそんなんあったっけ、と俺は首を傾げてしまった。その様子も面白そうに、女子三人はにやにやと笑みを浮かべている。軽くムカついたんだが、結局ここから先は俺一人ではどうにもならず、白旗を揚げるしかなかった――そんな俺に、森原は爆弾を落とした。
「あのね、最初ね、結宮さんのこと、あたしは苗字しか紹介してないわけですよ。……全部喋りたいところだけど、白っちゃんならこれでもうわかるよねー?」
 ――仰るとおりです、ハイ。そこで俺は気づいてしまったのだ。まさか同級生内でこんな巡り合わせがあるとはな、というのを強烈に感じてしまった瞬間だ――ああ、本当は最後まで隠したかったが、もうバレバレだろう。彼女のフルネームは、どうやら『結宮咲良』と言うらしい。
「なんだよそれよー……最初に言ってくれよっつーか、最初から俺にドッキリ仕掛けるつもりだから言わなかったんだな、お前らよー?」
「あはは、まあねー。あとはまあ、咲良ちゃんに気を使いましょうっていうのもあるけどね」
 あっけらかんとそう言ってのけたのは伊知川だ。ついでに今まで『結宮さん』だったのが名前呼びになっている。ネタバレしたからもういいだろうというところか――俺は今まで『咲良漂』という人物を指して咲良という言葉を使っていたが、結宮にしてみればどうも自分の下の名前を気安く呼ばれたように感じてしまうから、顔が赤くなるほど恥ずかしいということらしい。
 それにしても、そりゃあ気になりもするわな、としみじみ思った。向こうは上で自分は下という違いはあるものの、自分と同じ名前を持つ異性が学校内で注目されたり文化祭で活躍したりとあっては――おそらくその気になり具合といえば、今ヤツに殺到している他の女子とは段違いってもんだろう。
「……と、なると、だよ。会わせてみるのもいいかもしんねえなー?」
 それしかないだろ、とまでは言わなかったが、女子三人は一斉に頷いた。
「え、あの、い、いいですよ別に、無理しなくても」
「いやいや、そっちこそここまで来て遠慮すんなよ。せっかくだし顔だけでも見ていけばいいじゃん?」
 というか、正直ここで引き下がられるのはもったいないと思うのだ。間違いなく彼女の今回の試写会参加の目的は咲良だったわけで、想いの強さも十分に見せてもらったわけで。そんな子を他の女子みたいに門前払いというのは気が引けるというか、会わせてみて成り行きを見てみたいというのが正直なところだ。
 そこからは四人がかりでの説得に入った。とは言っても数で押す形にならないように、またできる限りフォローは入れるからというのを繰り返し伝えて。あくまでも結宮本人をその気にさせることが大事だった。


 とりあえず、話としては一区切りを迎えようとしている。物事の中心は、文化祭から別のものに移行しようとしている。その切り替わりを伝えるのは、やっぱり俺じゃないだろう。
 話が変われど、変わらない部分もある。それは、話の中心にいるのがヤツだという点だ。だから、ひとつの話の終わりから次の話の始まりへ、その切り替わりの瞬間はヤツに見届けてもらおうじゃないか。
 説得に応じてどうにか決心をしてくれた結宮を連れて、俺たちは軽音楽部の部室へと向かった。その時点で、もう俺にはやるべきことはない。
 あとはただ、見守るとしよう。